コストカットのデメリット、企業が不祥事や偽装を繰り返す原因 | コップのお話
 

社会とビジネス

コストカットのデメリット、企業が不祥事や偽装を繰り返す原因

 
Glass Story

縦棒 コストカットのデメリット

食品偽装、耐震偽装、企業の様々な偽装の報道が、「真面目だったはずの日本人がなぜ ─── 」という驚きの声とともに繰り返される。

こうした一連の偽装の原因は、個々の企業の隠蔽体質や倫理観以上に、もっと社会全体の根底に潜んだものだと僕は思います。

そこで、この根本的な原因、根本的な問題点について、企業努力として賞賛される「コストカット」と、「健康(身体観)」というものを絡めて解説したいと思います。

なぜ健康かと言うと、組織というのは、「頭(ヘッド)」や「右腕」、「腹心」と言う言葉にあるように、身体観と密接に関連しているのです。

僕たちが、「身体をどのように捉えているか」ということが、「組織をどのように捉えているか」ということと連動している、ということを、これから紹介したいと思います。

 

僕は、日常が当たり前のように「安全」に進んでいるのは、見えないところで必死に働いている人たちがいるから、ということを技術者の父から教わりました。

父は、大学卒業からずっと一つの企業に機械メーカーの技術者として勤め上げ、普段は決して饒舌ではない静かな性格でした。

そんな父も、酒に酔ったときやテレビの経済関連のニュースに触発されると、仕事について熱心に語りだすことがありました。

そして、その言葉のなかでとても印象深く残っている内容のものがありました。

それは、企業は経費を削減しようとするとき、「安全」に関する部門を「コストカット」しようとする、というものでした。

父は、「安全」であるためには絶え間ないメンテナンスが必要なんだ、と言います。

しかし、企業の経営陣には、その「安全」が不断の努力によって形になっているものだという認識が薄く、次第に、当たり前のものとして存在していると錯覚するようになっていきます。

そのため、それはコストカットしても構わないものなのだ、と判断する。

そうじゃないだろ、と若い頃の父は社長に直談判に行ったこともあったそうですが、あっさりと一蹴された、と悔しそうに語っていました。

東京から山梨に向かう途中に通る長いトンネル、笹子トンネルで2012年に9名の死亡者を出した崩落事故を受けて、国土交通省の審議会は、「最後の警告」と厳しく指摘しました。

これまで何回も、道路のメンテナンスが大事だという提言をしてきたが大きな事故が起きるまで後回しになってきた面がある ─── 今すぐ本格的なメンテナンスにかじを切らなければ、橋の崩落など、人命や社会システムに関わる致命的な事態を招くであろう。

出典 : NHK ニュース『インフラ老朽化に「最後の警告」』

どの業界も、どの企業も、似たような「コストカット」体質を抱えているのでしょう。

その「デメリット」は集積していって取り返しのつかない被害となって返ってきます。

 

一方で、「一体何をやっているんだ」と簡単に批判することもできないと僕は思います。

コストカットとは一体何でしょうか。それは日常で喩えると日々の「節約」のことです。

食品に添加物や遺伝子組み換え作物をふんだんに盛り込むのは、それが「安上がり」になるからです(これは企業側のコストカットとなる)。その上、色つやで刺激し、味付けも濃く、消費者を惹きつけることもできます。

そして、それは言い換えると、利益のために顧客の安全(健康)面をカットしている、ということでもあります。

それにも関わらず、僕たちは「コストカット(節約)だ」と購入します。ちょっとでも安い物がいいと大量に買い込みます。

確かに、コストカット(節約)は大事かもしれません。

しかし、問題なのは、まず切り詰めるものが「食べもの」、すなわち身体の維持費(メンテナンス費)になってしまっているのです。

日常が当たり前のように「健康」に進んでいるのは、見えないところで必死に働いている内臓や細胞がいるから、ということを僕は自分の体から教わりました。

僕たちが眠っているときも、美味しい食事のあとも、恋しているときも、見えない場所で働いてくれている。

そのことを忘れて、つい、これまで大丈夫だったからこれからも大丈夫だろう、「コストカット」しても平気だろう、と錯覚してしまってはいないでしょうか。

 

はびこる偽装に対する、根本的な解決法は、道徳心や厳しい規制よりも、たとえ遠回りであったとしても、各々が「身体観」と向き合うことだと僕は思います。

身勝手な「ヘッド」の認識を変えること。「右腕」や「腹心」、「心臓部」などの「安全(健康)」は、放っておいても与えられるものではない、ということを知ること。

一人一人の、その価値観の転換が、「色つや」や「ブランド名」に惑わされずに、良質な企業をはぐくむ、「消費者の責任」に繋がっていくでしょう。

民主主義で選ばれた首相が、僕たちの弱さの投影でもあるように、資本主義社会でも、企業は、善かれ悪しかれ僕たち消費者の投影なのです。

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2014-04-15 | Posted in 社会とビジネス