無印良品の哲学 | コップのお話
 

社会とビジネス

無印良品の哲学

 
Glass Story

縦棒 無印良品の哲学

無印良品、という日本発祥のブランドがあります。

無印良品は、素材や使い勝手のよさ、簡素で温もりのあるデザイン性だけでなく、その一見するとあっさりとした社名と裏腹に、明確な思想・哲学を持っています。

それが文字通り、「無印」という哲学です。

 

無印良品は、1980年、西友のプライベートブランドとして産声を挙げました。

当初、企画会議の席で新しいPBのターゲット層として考えられた顧客の姿というのは、決して流行に流されず、余分なものを購入せず、自身の消費選択を一つの自己表現ととらえる生活者像でした。

しかし、実社会を見ると、まもなくバブル到来という過剰な成長を追い求めていた時代、そのような「生活者」というのは、ほとんど存在しませんでした。

それでも、その「理想」の生活者像を信じ、無印良品は立ち上がりました。

現状の分析から、今存在する顧客に届けるのではなく、分析の延長に存在する、「今はまだ存在しない生活者像」を、将来の無印良品の顧客 ─── ともにブランドを創造していく仲間 ─── として想定したのでした。

 

今、経営に関する本には、企業は「哲学が大事」「物語が大事」という類のもので溢れています。

それは「モノ」自体が売れなくなった飽和の時代の新しい着眼点なのでしょう。

ところが、実態は、「とにかく売りたい」というむき出しの欲望がまず第一にあり、そこにファッションのように「哲学」や「物語」を着飾っている、といった企業も多いのではないでしょうか。

文化的企業はあるけれども、企業の文化戦略というのはないんだ。それはちょうど小林秀雄が、花の美しさというのはなく、美しい花があるだけだ、と言ったのに匹敵する。

『堤清二=辻井喬対談集』堤清二著

これは無印良品の生みの親でもある故堤清二氏の対談での言葉です。

おそらく、この言葉の意味することは、文化というのはそもそも備わっているもので、企業が「戦略」によって生み出すものではないということ。また、そのような「文化的戦略」を行うような企業に「文化」などないということを言いたかったのではないでしょうか。

 

無印良品というブランドは、まず伝えたいメッセージ、思想、哲学、「世界を良いものにしたい」という想いが根底にあります。

そして、その抽象的な「想い」に、具体的なものとして形を与え、研ぎすませるように推敲していき、その結果、売り上げに繋がっている(もちろんその過程では理想とのバランス感覚も必要とされるでしょう)。

僕がやりたいのは会社を経営することではありません。世界をより良い方向に変えていくことです。フェイスブックはその手段です。

マーク•ザッカーバーグ フェイスブックCEO

 

縦棒 これ〈で〉いい

無印良品は、公式に、『「これ〈が〉いい」ではなく、「これ〈で〉いい」を目指している』という宣言を掲げています。

これは、決して投げやりなニュアンスではなく、満足感に満ちた「これ〈で〉いい」です。

その哲学の根底には、無印良品が現代の消費社会に対して持っている強い問題意識があります。

確かに、「これ〈が〉いい」という強力な欲望の矢印は、かつて経済を牽引し、成長を加速させていきました。

しかし、一方で、そのエゴイズムが自然を破壊し、公害を引き起こし、様々な問題を引き起こしていることも、またまぎれもない現実です。

幸福感が少ない、永遠に満足できない、という副作用に苦しんでいる人も大勢います。

だからこそ、これからの時代には、抑制の効いた「これ〈で〉いい」という理性的な態度が求められる、と無印良品は静かに物語っているのです。

利益の独占や個別文化の価値観を優先させるのではなく、世界を見わたして利己を抑制する理性がこれからの世界には必要になります。

無印良品は、当初よりこうした意識と向き合ってきました。その姿勢は未来に向けて変わることがありません。

出典 : muji.net

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2014-04-16 | Posted in 社会とビジネス