日本の自然観 - 自然を哲学する、養老孟司さんの優しい環境論 | コップのお話
 

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日本の自然観 - 自然を哲学する、養老孟司さんの優しい環境論

 
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縦棒  自然の哲学

自然の哲学、特に日本人の自然観について考えるなら、解剖学者の養老孟司さんが書いた『いちばん大事なこと』という本が入門書としておすすめの一冊です。

この本には、題名にある通り、自然にまつわる「いちばん大事なこと」が書いてあると僕は思います。それは、「自然とは何か」ということです。

そして、その問いは、現代社会に蔓延する様々なひずみと繋がっている、根幹に触れる大切な問題です。

 

 

縦棒  自然と意識の対比

この『いちばん大事なこと』という本は、語り口は優しいのですが、少々複雑にうねった道を歩いていく必要があるので、道しるべの意味も込めて内容を簡単に紹介したいと思います。

まず、養老さんは、「自然」について「人間」と対比させるのではなく、人間の「意識」との対比で説明します。

この対比が重要なポイントで、かつ、しっかりと把握するのが難しい部分でもあるでしょう。

たとえば、都会で「自然」と呼ぶような、きっちりと整備された緑豊かな街路樹というのは、デザイナーや設計士が「意識」で想像したものを、紙面に設計図としてアウトプットし、実際に目に見える形で具現化させたものです。

だから、それは「自然」ではないのだと、養老さんは言います。

一方、人間の「身体」はいかがでしょうか。「身体」は、僕たちが「意識」によって設計したりデザインするなど、クリエイトしたものではありません。

だから、「身体」は「自然」であると定義できます。

この対比を念頭に置いて、ビルの窓や散歩道から街の風景を眺めてみて下さい。目の前に広がる風景が、誰かの脳内を、そのまま投影した世界のように映るのではないでしょうか。

ちょうど映画『マトリックス』の世界のように。

そうした人間の「意識」、すなわち脳によって造られた景色に囲まれた世界を、養老さんは、「脳化社会」と名づけます。

 

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さて、どれが「自然」でしょうか?

 

縦棒  自然との付き合い方

要するに、「自然」とは、自分の身体や手つかずの森林、空や海、虫など、僕たちが「意識」では造れないもののことを指します。

だからと言って、この「自然」に対して、過激な環境保護思想によって、汚れ放題、伸ばし放題、荒れ放題の「自然のまま」にすべきでもないと、養老さんは言います。

僕たちが「自然」との付き合い方を考えたときに大事なのは、「手入れ」の思想である、というのが養老さんの主張です。

髪が伸びれば、ハサミで整える。爪が伸びれば爪切りで切る。体が垢や汗で汚れれば適度に洗う。伸び過ぎた雑草は、定期的に程よく「手入れ」をする必要がある。

ところが、この「手入れ」というものを履き違えると、際限のない整形手術やコンクリートの埋め立て、遺伝子組み換え作物、デザイナー・ベビーの導入。あるいは、雑草の「手入れ」が面倒だから、雑草が永遠に生えてこない薬剤を撒こう、という話になる。

しかし、それは「手入れ」ではありません。それは、自然をコントロールする、支配下に置く、ということです。

「手入れ」と「コントロール」は違う。

「手入れ」は相手を認め、相手のルールをこちらが理解しようとすることからはじまる。これに対して「コントロール」は、相手をこちらの脳のなかに取り込んでしまう。

『いちばん大事なこと―養老教授の環境論 』養老孟司

相手をねじふせ、支配下に置き、コントロールするのではなく、相手を尊重し、耳を傾け、そっと「手入れ」をする。

こうした付き合い方や関係性を「自然」とのあいだに築いていくということは、環境問題を考える際の根底に必要な、とても重要な哲学と言えるでしょう。

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2014-05-24 | Posted in からだと自然