恋と自立 − 魔女の宅急便でキキが魔法を使えなくなった理由 | コップのお話 〜コップの水が溢れるように〜
 

文学と芸術

恋と自立 − 魔女の宅急便でキキが魔法を使えなくなった理由

 
Glass Story

縦棒 『魔女の宅急便』と久々の再会

久しぶりに『魔女の宅急便』をDVDで鑑賞した。たぶん大学生の頃以来だったと思う。

当時、その影響だったのか、豊洲のららぽーとにジブリのグッズを揃えたどんぐり共和国という店があって、その店で買ったジジのストラップを携帯にぶら下げていたことを覚えている。

ただ、正直、その頃の僕にとって『魔女の宅急便』自体は、感想や印象をほとんど残すことのない地味なものだった。

ところが、それから時が流れて、久々に目にしたキキの葛藤は、この一人の魔法使いの少女の成長物語は、切ない、込み上げるような感動を与えるものに変容していた。

もちろん作品そのものに手が入ったわけではないので、変わったのは僕の方なのだと思う。

 

 

縦棒  キキが魔法を使えなくなった理由

僕が、この物語で感動したポイントの一つが、黒猫のジジと会話ができなくなり、魔法を失って以降のキキの不器用な葛藤と、成長、そして世界の祝福にある。

なぜジジが喋れなくなったのか。キキが、なぜ箒で空を飛ぶ、すなわち魔法が使えなくなったのか。

その理由について、その場面を振り返りながら、僕なりの意見を書いてみたいと思う。

 

まず、ジジが喋れなくなる直前に、キキがトンボと会う場面がある。

そして、プロペラ付きの自転車に乗って、二人で海岸線を走る。その後、浜辺で、トンボが同年代の女の子の友人たちに呼び止められて仲良く話している様子に、キキが嫉妬し、一人で帰っていく。

部屋に戻ってベッドに突っ伏したキキは、自分自身のコントロールできない感情に、「ジジ、私ってどうかしてる? せっかく友だちができたのに、急に憎らしくなっちゃう」と寂しげな声で呟く。

その頃には、もうジジは猫の声を発するだけになっている。

また、ジジの言葉がわからなくなると同時にキキは、自由に使いこなすことのできた「箒で空を飛ぶ能力」も失っていた。魔法が使えなくなったのだった。

 

以上が、魔法を失うシーンの要約である。

そして、このキキの様子から察するに、おそらく、魔法が使えなくなったその大きな要因として、キキの恋心があると僕は思う。

トンボに対する嫉妬心を契機に花の咲いた恋心(それは初潮を匂わせる演出とも相まって)によって、キキは「女性」の道を歩みだすことになるのだ。

しかし、それゆえに、幼い頃は誰もが持っていたはずの(たとえば妖精を見ることができるといったような)「魔法の力」を失うことになった。

幼少期というのは天性の才能を授かった詩人で、まるでエデンの園で暮らすように、僕たちは自然と調和し、無垢に絵筆を動かすことができる。

ところが、年齢とともに絵筆を持った右腕は重々しく、滑らかさを失っていく。本能ではなく頭で考えることによって右腕との不調和が生じる。

そのことは、魔法が使えなくなったことに思い悩むキキに、ウルスラが、「魔法も絵も似てるんだよね」と語りかけるシーンにも象徴される。

これは、恋をすることで〈少女〉から〈女性〉に変わっていくキキに与えられた試練なのだ。

無意識に使えていた魔法を失い、幼い頃から一緒だったジジと離れて、一人の大人として、女性として、不器用でも踏み出し、好きになった彼を助けることができるだろうか、と。

 

 

縦棒  キキの自立と祝福

そして、クライマックスのシーンで、その瞬間が訪れる。

キキは、清掃のおじさんから借りた不格好なデッキブラシにまたがって、自由に扱えない、不安定で不器用な飛行で、それでも、トンボの元に向かっていく。

ついに力尽きて飛行船から落ちていくトンボの手を、彼女はしっかりとつかむ。

その瞬間、彼女は〈女性〉として自立し、世界が彼女を華々しく祝福する。

この祝福のシーンが、僕は好きだ。『千と千尋の神隠し』でも同じようなシーンが最後にある。

豚になった両親はどれかと選択を突きつけられた千尋は、「このなかにはいない」と答える。その見事な正解に、世界が溢れんばかりの喜びで祝福する。あの映画もまた、一人の少女が、ほんの少し、大人になっていく物語だ。

たぶん、これらの物語に、そして祝福のシーンに僕が感動したのは、この一見すると些細な変化が、どんな劇的な革命や深淵な哲学よりも、ずっと、人間にとって掛け替えのない大切なものなのだと知ったからなんだと思う。

 

その後、取材陣に囲まれるキキの肩にジジが飛び乗ってくる。

でも、やはり言葉は分からないまま、ジジは「ニャア」と鳴くだけ。

キキは、そんなジジに、ちょっぴり大人びたような、ほのかに悲しみの混じったような、優しげな表情で頬をすり寄せる。

その表情が、「また、いつかね」と言っているみたいに僕には思えた。

これは想像だけど、遠い未来、いつかキキが年老いてお婆さんになったとき、もう一度、ジジはキキに向かって語りかけてくれるような気がする。

久しぶりだね、と。

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2014-06-04 | Posted in 文学と芸術