抗うつ薬の長期服用と断薬の体験談 ルボックスの攻撃性とアナフラニールの離脱症状 | コップのお話
 

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抗うつ薬の長期服用と断薬の体験談 ルボックスの攻撃性とアナフラニールの離脱症状

 
Glass Story

 

離脱症状の体験談

抗うつ薬や精神安定剤といった向精神薬には、厳しい副作用や離脱症状があります。

これから書くことは、僕自身の通ってきた、抗うつ薬の長期服用とその離脱症状および断薬に関する体験談(あくまで一つの体験だと思って下さい)です。

現在抗うつ薬等を使っていたり離脱症状に悩んでいるようなら、ぜひ参考にしてみて下さい。

 

 

抗うつ薬「ルボックス」の攻撃性

僕が抗うつ薬を最初に処方されたのは10代の半ばくらいの頃でした。

当時、「夢の薬」とNHKでも紹介された「ルボックス」という抗うつ薬でした。そのことを医師が自慢げに説明したときの表情が、今でも深く記憶に焼き付いています。

ルボックスは、淡く黄色い錠剤で、デプロメールやフルボキサミンという呼び名もある割と最近に開発された抗うつ薬です。

このルボックスの使用感ですが、服用すると驚くほどすぐに効果が現れました。

それまでの僕は全身が脱力したように気力がなく、一ヶ月ほど真っ暗な部屋にこもって毎晩のように泣いていました。ところが、抗うつ薬の服用後は、たちまち光が注ぎ込むように力がみなぎっていきました。

鏡に映るうつろだった眼がくっきりと開いたのが自覚できるほどでした。

そして、その激しく揺れる気分の針は振り切れんばかりで、ほとんど一日中眠っていたのが、むしろ高揚で全く眠れない日々に変わっていきました。

深夜遅くまでギラギラと目が冴えて深夜三時近くになってようやく眠りにつくのですが、一時間もすると目が覚めます。

そうして明け方、まだ暗い通りを一人で歩いて近所の公園に散歩に出掛けることもありました。15歳の僕は、突然髪を金色に染め、上下真っ赤なジャージで身を包み、夢うつつの世界をさまようように歩いていました。

それは「散歩」というよりも「徘徊」と言ったほうが正しいかもしれません。

そして、理由もなく言いようもない攻撃心が胸に渦巻き、「誰でもいいから殺したい」という暗く澱んだ情念が沸き立ってくるのでした。

 

その異様な心理状態について僕が心療内科の医師に相談すると、「それは困ったね。でも大丈夫だよ。いい薬があるんだ」と再び笑みを浮かべ、今度は、「精神安定剤」を追加で処方するのでした。

気分が落ちているのだから抗うつ薬で持ち上げ、上がりすぎれば精神安定剤で下げる、という論理だったのでしょう。

安定剤を服用すると、まもなく抗うつ薬で高ぶった精神はまろやかな眠気のような落ち着きを取り戻していき、まどろみのような、ぼんやりとした世界に包まれていくのでした。

その後も、心療内科では、効かなければさらに抗うつ薬を追加したり別の種類の薬を試しながら、効きすぎたら精神安定剤を追加していく、という循環で、毎回、診察時間はほんの数分、その繰り返しの末に「薬漬け」になっていきました。

僕は、まだ10代半ばにも関わらず、多いときには5種類、睡眠薬なども合算すると一日に20錠近く服用していたこともありました。

その頃にはもう、楽しいと思う「僕」は薬(抗うつ薬)であり、優しさの芽生えた「僕」も薬(精神安定剤)なのだと、すっかり「僕」というものを見失っていました。

僕の感情は、「すべてが薬由来なのだ」と思うようになっていったのでした。

 

 

アナフラニールの離脱症状

それから約8年ほどは(病院を変えたり、薬の種類を変えながら)、薬の処方(服用)が続きました。薬をやめたいと願っても、「離脱症状」がとにかく苦痛だったのです。

離脱症状の存在も、医師や製薬会社は、一部の薬を除き、基本的には認めていないようです。薬害問題に発展することを恐れるためなのでしょうか(「これは薬害だ」と怒ってくれる方もいました)。

僕の場合、最後まで断薬することができなかったのは「アナフラニール」という名前の抗うつ薬でした。

アナフラニールを、三日も服用しないと、たちまち不穏で不快な離脱症状が闇から顔を出します。

ちなみに、この「離脱症状」は精神的な薬物依存とは別物です。別に、薬を服用したときの快楽が忘れられない(そもそも快楽はありませんでした)といったものではなく、身体が、薬がないと混乱して対応できないような状態に苛まれるのです。

離脱症状は、既存のことばで簡単に表現することの難しい症状ばかりでした。

たとえば、歩くたびにシャリンシャリンと全身が脈打つような音が響く感覚に襲われました。また、ほんの少し目を動かすだけで激しい目眩に襲われ、ふらふらと歩道橋を歩いたり、友人と遊んでいても、意識が半分以上、この世から外れてしまったような感覚になることもありました(これは「離人症」と呼ばれています)。

ある夜などは、眼球が抜け落ちるような激痛に、深夜にも関わらずうめき声とともに台所で這いつくばっていたこともありました。

その物音に、心配になった祖母が起きてきて、恐る恐る近づいてくるのですが、僕は椅子の脚をつかみ、「お願いします! 向こうに行って下さい! 向こうに行って下さい!」とうめきながら、椅子の脚を床に何度も叩きつけました。

しかし、アナフラニールを服用すると「離脱症状」は潮が引くように落ち着いていくのでした。

 

その頃は、ある本で名医と紹介されていた山の中腹に建っている病院に通っていました。病院の近くには大学があって、登校中の多くの学生たちに混じって木々に囲まれた緩やかな坂道を歩いていきました。

僕は、その老医師に「アナフラニールの離脱症状が辛い」と相談しました。

その相談に、医師は、「アナフラニールには離脱症状の報告はない」とあっさりと言いました。「報告がない」から「存在しない」というのが、どうやら彼の論法のようでした。

そして、「それは離脱症状じゃなくて、うつが治っていないからじゃないかな」と優しく諭すように微笑み、また抗うつ薬の量を増やそうとするのでした。

報告がないと言うのなら、あなたがまず報告すべきではないですか! 日本中の医師が、「報告がないから存在しない」と考えたら、一向に報告は上がらないでしょう! と、どれほど突きつけたかったことでしょう。

でも、もちろん口には出せません。

この世界では、僕が「異常者」だから。

ほとんど僕の顔など見ることもなく、慣れない手つきでパソコンのキーボードを打ち、ディスプレイに目を細めている、その医師の横顔を、僕はじっと眺めているだけでした。

 

 

断薬体験

アナフラニールの断薬は、結局部屋で一人で行いました。

只でさえ細かい錠剤を、まゆげカット用の小さなハサミで、日々、1/2、1/4といったように徐々に減らしていきました。

のちに、似たような描写の記述があるノンフィクション小説を読み、アメリカでも同様のことに大勢の人が苦しんでいるのだと知りました。

錠剤を半分に割ることから始めて、次は四分の一に、それから八分の一に。そしてとうとう、最後に粉末状になった薬をトイレに流した。

「スエロは洞窟で暮らすことにした」マーク・サンディーン著

離脱症状によってぷるぷると震える手でつまんだ抗うつ薬を、ハサミで割ったその瞬間、欠片が勢い余って飛び散って床に転がり、僕は、その破片を床を這って探しました。

今も、そのときに浴びた、黒のカーテンのすき間から射し込んでくる夕陽の眩しさが、まぶたの裏に残像のように残っています。

その後、離脱症状は、幾度となく揺り戻しを繰り返し、食事療法が専門の病院でアドバイスを受けたり、運動、生活習慣を徹底して気遣って(自分で変えるのだ、という一つの覚悟を持って)、これまで書いてきたような激しい耐え難さは次第に薄まっていったのでした。

僕のからだと心に、幾つかの「後遺症」を残しながら。

でも、もちろん、「後遺症である」という科学的、直接的な証拠を見つけることも、提示することもできません。

汚染物質が青い海に希釈して見えなくなっていくように、もはや因果関係は見えなくなっているのですから。

 

心療内科に行く前に食事を変えなさい

心療内科に行く前に食事を変えなさい / 姫野友美

 

心の病に薬はいらない!

心の病に薬はいらない! / 内海聡

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2015-09-07 | Posted in こころ, 体験記