僕が紙の本が好きな理由と、生き残りに不可欠な映画館や紙の本に備わった「孤独」という特徴 | コップのお話
 

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僕が紙の本が好きな理由と、生き残りに不可欠な映画館や紙の本に備わった「孤独」という特徴

 
Glass Story

映画館や紙の本の特徴

昨今、映画館の利用者の減少や紙の本を中心とした活字離れがますます著しくなっている。

その理由の一例として、娯楽の多様化やネットの普及などが挙げられる。

今では、テレビだけでなく、パソコンによって家でDVDや配信サービスを利用して鑑賞することができる。また寂しいときにはスマホを開くと、わざわざ本を通さなくても誰かと「繋がっている」という感覚にひたれることが容易に可能になった。

映画館や紙の本という「箱」の存在意義は、徐々に衰退していっているように思える。

それでは、このまま、映画館や紙の本は、減少の一途を辿り、消滅していってしまうのだろうか。未来の社会では、映画館や紙の本は懐かしさに興じる博物館の一展示品となってしまうのだろうか。

映画館や紙の本といったアナログな媒体の生き残りについて考えるとき、見落としがちな重要な点が一つある。そして、それは僕が「紙の本が好き」な理由とも共通する。

両方とも、スマホやパソコンのようなデジタル画面では補完できない、ある特徴を備えている。この特徴を持っているかぎり、この先も、たとえ市場規模自体は縮小したとしても(そもそも今がバブルなのだ)、映画館や本は決してなくならないと僕は思う。

それでは、その「ある特徴」とは何か。

 

 

孤独な空間

映画館や紙の本のような物理的な側面が強い「箱」の特徴、それは、「孤独が守られる」ということだ。

芸術作品のひとつの欠かせない要素は、作品、そして、その奥の作者と受け手の「魂の触れ合い」であり、密やかな交流、一期一会である。

その交流のためには、静かな、閉鎖された空間が不可欠になってくる。

この「魂の触れ合い」にとって大切なことは、「繋がる」であり、「繋がっている」ではない。これは似ているようで全くの別物である。

そして、「繋がる」ためには、まずは前提条件として互いの孤独が担保される必要がある。

電子書籍やDVD、スマホでは、世界から自分を遮断することができない。孤独に浸れない。またSNSのような「繋がっている」状態では、決して深い意味での「繋がる」ことは叶わない。

繋がるためには、孤独が必要で、孤独の確保のためには、確かな「距離」が求められる。距離とは、世界と自分を隔てる壁、作者と自分を隔てる壁である。

産業革命と鉄道の発明以降、文明は、とにかくこの「距離」を消す方向に向かっていった。

時間と空間の抹殺、これが鉄道の働きを言い表す19世紀初頭の共通表現であった。

所与の空間的隔たりを踏破するためには、伝統的にはある決まった旅行の時間または輸送の時間が必要であったが、この距離が、突然その時間の何分の一かで踏破されることとなり、これを裏返せば、同じ時間で昔の空間的な隔たりの何倍かが進められることになった。

『鉄道旅行の歴史』ヴォルフガング・シヴェルブシュ著

22世紀の世界に存在するかもしれない、「どこでもドア」と「翻訳こんにゃく」は、この「距離」を奪う「文明化」の支流に属する。「空間的距離感」「言語的距離感」の抹殺である。

もしかしたら、これはインターネットやSNS、GoogleマップやGoogle翻訳の登場で、ほとんど現実化していると言ってもいいかもしれない。

 

 

紙の本の生き残りのために

ところで、このドラえもんの秘密道具には、もう一つ、代表的な道具がある。それは「タケコプター」である。

なぜ、距離が完全に抹殺された「どこでもドア」の世界で、距離を経る必要のあるタケコプターがなくなっていないのだろうか。

それは、人間の心身には本質的に「距離」が必要で、「孤独」がないと生きられないからではないか。

繋がっている、ということは心身にとってあまりに不自然で窮屈すぎる。

大切なことは、距離を確保し、繋がるということ。

映画館に余計な装飾を加えて情報を散乱させたり、書籍を電子化してネットと常時接続しようとするのではなく、しっかりと本来備わっていた特徴である「孤独」と「距離」を保ち、活かすように工夫すること。

それが、映画館や紙の本の生き残りのために不可欠な要素であると僕は思う。

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2015-09-17 | Posted in 社会とビジネス