孤独と孤独感の違いとは - 世界の「東京化」によって、寂しい風が吹く | コップのお話
 

こころ

孤独と孤独感の違いとは - 世界の「東京化」によって、寂しい風が吹く

 
Glass Story

縦棒  孤独は状態、孤独感は感覚

秋の暮れの切ない風が吹き抜ける季節になったので、今夜は孤独と孤独感の違いについて書いてみたいと思います。

孤独と孤独感、その「感」という一文字の差異によって生じる違いを簡潔に言うと、孤独とは状態であり、孤独感とは感覚と言えるでしょう。

そして、今だれの心にも去来する寂しさや不安感の原因の一つは、孤独に還ることができない孤独感にあると僕は思います。

たとえば、田舎から上京し、東京が孤独だと思うのは、静かな場所で一人きりで座っているからではなく、光に満ちた、賑やかな声に囲まれているがゆえに孤独感が生じるのです。

もし、生まれも育ちも無人島で一人だったら、決して孤独だと思うことはないでしょう。

 

 

縦棒  現代病としての孤独感

この病理と、ほとんど同じような病が、今や現代社会に生きる僕たちの心をまんべんなく覆っています。

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携帯電話やインターネット、あるいはSNSで常時繋がっている環境と言うのは、部屋の内側に、この〈東京〉を持ち込んだようなものなのです。

愉快な誰かの足音や歌声が常に外から聴こえてくる。でも、自分が参加することはない。

それは、夜の帰り道、どこで打ち上がっているか分からない、ただ花火の音だけが遠くから聴こえてくるようなものでしょう。

──── 完全に遮断して、孤独の状態になれたら、どんなに心が楽になるだろう。

と、思いながらも、孤独感に急かされるようにベッドに転がる携帯電話に手を伸ばし、また孤独感を育んでいくのです。

 

 

縦棒  部屋の窓

引きこもりだった10代半ばくらいの頃、僕は部屋の鍵をかけて、窓はカーテンと雨戸で閉ざしていました。

まるで車庫のように、日中は薄暗く、夜は人工的な蛍光灯の灯りが眩しかった。

ときどき、家の前を通り過ぎていく同年代くらいの若者たちの笑い声が窓の外から聴こえてくることがありました。

僕は、ベッドから飛び起きてひんやりと冷えた窓に耳を近づけ、彼らの声に耳を澄ませます。そして、通り過ぎる声に、ざわざわとした焦燥と刺されるような孤独の痛みを覚えるのです。

それでも僕は、まるで依存症か何かのように、声がするたび、窓に向かって駆け出していったのでした。

 

これは現代病である孤独感と、ネット依存を描写する、一つの比喩と言えるでしょう。

ずいぶん遠くまで歩きました。
五時間ほど、ひとりで。
それでも孤独さが足りない。
まったく人通りのない谷間なのですが、
それでもさびしさが足りない。

『絶望名人カフカの人生論 』フランツ・カフカ著、頭木弘樹編

あの頃の僕は、引きこもりだったから孤独だったのではなく、完全に引きこもることができなかったからこそ孤独だったのです。

 

風の歌を聴け (講談社文庫)

風の歌を聴け / 村上春樹

 

つながらない生活 ― 「ネット世間」との距離のとり方

つながらない生活 ― 「ネット世間」との距離のとり方 / ウィリアム・パワーズ

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2015-11-24 | Posted in こころ