松本人志さんのスローライフ批判の反論(というよりも感想)。 | コップのお話 〜コップの水が溢れるように〜
 

からだと自然

松本人志さんのスローライフ批判の反論(というよりも感想)。

 
Glass Story

縦棒  松本人志さんの「スローライフ」批判

お笑い芸人の松本人志さんが、テレビ番組『ワイドナショー』で、高樹沙耶容疑者の大麻事件に関して発言していました。

その一部に「スローライフ」を批判する意味合いの発言がありました。

批判自体は構わないと思います。

ときの流れの速さについていき、それが心地よいのだという人間もいるでしょう(でも、当然ながら、とてもついていけずに、あるいは突然ガス欠やパンクをし、スローライフの道を進まざるをえない人たちもいるでしょう)。

そして、なぜか「スローライフ」というのは、その存在自体が自分たちの生きる根幹を批判されたような気持ちになって、「ファーストライフ」の人たちが、それによって不愉快になる、という傾向があります。

自然食品と言われると、「だったら俺たちは不自然食品だとでも言うのか」と胸騒ぎや腹立たしさが生じるように。

だから、あのように感情的に批判したくなる気持ちも理解できなくもありません。

 

 

縦棒  自分たちだけで生きてる

しかし、今回の松本さんのスローライフ批判について、どうしても看過できない一言がありました。

別に僕はスローライフ絶対主義でも、いわゆる「ナチュラリスト」でもありません。

僕自身も、そういう方向に進みたいなとは思いながら、文明の利器に頼らざるをえない時代に生まれたこともあって、それぞれが、ちょっとずつでも、自然との共生について遠い未来に向けて進んでいくべきだと(そうせざるをえないと)、そういう風に考えています。

ただ、どうしても気になった点があるので、反論というか個人の感想として、このことだけは書いておこうと思います。

松本さんは、番組で、「人の力を借りてるくせに、自分たちだけで生きてるみたいに」と言っていました(参照 : 松本人志、大麻所持の高樹容疑者の「スローライフ」に激怒)。

“人”の力を借りてるくせに、自分たちだけで生きてるみたいに。

これは、しかしむしろ話があべこべだと僕は思うのです。特に後半の、「自分たちだけで生きてる」というのは、まさに今の文明社会の本質をつく言葉です。

「誰もが他人に頼ることなく、何事も独力でやりとげるべきだ、という考え方がアメリカにはあって」とスエロ。「 ─── だけど本当は、この宇宙には誰ひとりとして、一個の分子ですら、自足的な存在などない」

『スエロは洞窟で暮らすことにした』マーク・サンディーン著

文明社会は、「”自然”の力を借りてるくせに、自分たちだけで生きてるみたいに」振る舞う社会です。そうして「自然」を見えない場所で壊していく。

文明、科学至上社会の最終目的は、人間の力だけで生きること、人間が神になることです。

われわれはついに自然を奴隷的に模倣するだけの世界を脱して、すべてを人間が創りあげていく、じつに興味深い世界に入ったわけです。

『すばらしい新世界』オルダス・ハクスリー著

先ほども言ったように、僕は「スローライフ」や「ナチュラリスト」を手放しで礼賛する者ではありません。

だからと言って、松本人志さんのおっしゃったような発言を看過することもできません。

僕は、二元論的な争いを好みません。

僕は、あれほど「自然」の優しさや神秘、と同時に荒々しさを描き、人類よりも自然に信を置いたジブリの宮崎駿監督(彼も、「自分はナチュラリストではない」と公言しています)が、最後に、それでも『風立ちぬ』を製作し、今を必死に生きている人類を肯定した、その「葛藤」を支持します。

 

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2016-10-30 | Posted in からだと自然