自業自得 | コップのお話 〜コップの水が溢れるように〜
 

日記

自業自得

Glass Story

夜、視界が灰色にゆがみ、ぐるぐるとめまいがする。トイレに駆け込み、扉を開けたまま便座に手をついて激しく嘔吐する。

使っていない筋肉を急に動かしたために攣ったような痛みが走る。

胃は、「いやだ、いやだ」と駄々をこねる子供のように、優しく差しのべる白湯さえも乱暴に払いのける。次第に体は冷え、ふらついた足でトイレに向かってまた嘔吐する。

何度も必死に吐き出そうとする、この体はいったい何をそんなに吐き出そうとしているのだろう。吐いても、吐いても、まだ吐き出せないとでも言うように。

泣いても、泣いても、まだ悲しいと、声を震わせでもするように。

そうして僕は、「ああ、この体は、僕を吐き出そうとしているんだ」という感覚に至る。

 

僕はときどき、空を仰ぎ見ると、僕自身が、そして、この世界が、より広大な大宇宙とでも呼ぶべきものの内臓のなかにあるようなイメージを抱く。

それは、ある種の確かさを持って沸き起こってくる感覚だった。

食道をたどって、内臓の入り口である穴から産み落とされる。「空はひとつの穴だ」と喩えたのは、宮沢賢治だったか。

そして、僕は、僕の嘔吐というのが、この内臓から、僕自身を吐き出そうとする、地球の排出行為ではないか、と思うのだった。

症状というのは自然界の療法だ、というのは東洋の教えだ。

人類にはびこる「病」というのが、地球にとっての自然治癒の過程であって、何がおかしいことがあるだろう。

 

吐き気が治まると、こめかみがずきずきと痛む。

布団にもぐって耳を閉ざすように眠る。懐かしく、悲しい夢を見た。目が覚めて、嵐は多少静まったものの、まだ偏頭痛がする。

ずきんずきんと響くたびに苛立ちがよぎる。人類の愚かさが憎らしく、と同時に悲しさが胸に去来する。

その主体は、僕であって、僕ではない。

0
2016-12-06 | Posted in 日記