殴ること、殴らされること | コップのお話 〜体と心と自然の物語〜
 

ぼんやりとおもうこと

殴ること、殴らされること

 
Glass Story

殴ることを一緒くたに「虐待」と名づけ、殴る側の全面的な意志によって行われている、という前提でテレビ画面を指差し断罪する。

それでは永遠に解決には向かわないし、悪魔の増殖が止むこともない。

この「殴る」というのは、自分の意志で「殴る」場合もあれば、「殴らされる」場合もある。

こうした「受動的」な側面を受け入れる「弱さ」の素養も持てず、テレビを見ながら、「やあね」「怖いわね」と言っているうちに、炬燵の隣に彼はやってくるだろう。

なぜ、その想像力がないのだろう、と不思議で(そして悲しくて)仕方がない。

聞いて、ありえないのっ! と愚痴をぶつけるのが、精神的に殴っていることと同じで、それを抑えることができないときの、「殴らされている」という感覚さえ自覚してくれるのであれば、僕は喜んで殴られる(なぜなら「殴る」ことを抑えれば、体の内側に拳が向くからだ)。

しかし、そろそろ次に進もう。いいかげん、次に進もう。

一体「誰」が悪いのよ、と特定の原因を求めるのは、もう、おしまいにしよう。

0
2017-01-12 | Posted in ぼんやりとおもうこと