日記から読む、息子文也の死と、かなしみの詩人中原中也の死 / 中原中也 | コップのお話
 

作家の言葉

日記から読む、息子文也の死と、かなしみの詩人中原中也の死 / 中原中也

Glass Story

中原中也は幼い頃に弟・亜郎との死別を体験しました。亜郎はよく小学校から帰ってくる中也を、家の門の前で待っていました。

中也は、このときの弟との別れのかなしみを歌ったのが詩人としての「中原中也」の始まりだったと後年語っています。

詩的履歴書 ──── 大正四年の初め頃だったか終頃であったか兎も角寒い朝、その年の正月に亡くなった弟を歌ったのが抑々の最初である。

出典 : 中原中也全詩アーカイブ「詩的履歴書」

弟との死別から月日の経った16歳の頃、中也は京都で女優志望の年上女性長谷川泰子と出逢い、一年ほどの同棲生活の後に、泰子は中原中也の友人であった小林秀雄のもとに去ります。

中也は、泰子からすれば年下で、身長も低く(150cm程でした)、感情を全身で表すような生粋の「詩人」であったのに対して、小林秀雄は年上で理知的な「評論家」でした。

泰子からすれば、中也にない大人の側面を小林に求めたのでしょう。

このときの別れも、中也の心をえぐるように苦しめました。

その痛切な想いを、中也は日記に「自己を失った」と表現しています。彼は、言葉によって、崩れ落ちる自己を保たなければならず、この二度目の喪失の体験が、いっそう深く彼を詩人にしていきました。

俺は、棄てられたのだ! 郊外の道が、シツトリ夜露に湿つてゐた。郊外電車の轍の音が、暗い、遠くの森の方でしてゐた。私は身慄ひした。停車場はそれから近くだつたのだが、とても直ぐ電車になぞ乗る気にはなれなかつたので、ともかく私は次の駅まで、開墾されたばかりの、野の中の道を歩くことにした。

  *

私は苦しかつた。そして段々人嫌ひになつて行くのであつた。世界は次第に狭くなつて、やがては私をめ殺しさうだつた。だが私は生きたかつた。生きたかつた!

出典 : 我が生活|青空文庫

中也に与えられた試練はこれだけでは終わりません。

それから数年後、中也は母親の勧めでお見合い結婚をし、一人の男の子を授かりました。中也は息子に文也という名前をつけました。

長男・中原文也。

中也は、息子文也をとても可愛がっていました。結婚し、子供にも恵まれ、かなしみを生きてきた中也が、ようやく幸せな気持ちに安住できた瞬間でした。真っさらな眼差しを持った詩人としても、子供の成長はさぞ神秘的に映ったことでしょう。

文学について語られることが多かった日記にも、文也の名前が姿を現わすようになりました。

9月13日(1935年)

朝から子供の守。夜八時半子供就寝の後初めて自由な身体となる。女房が早く寝て早く起きろと盛んにこぼす。

7月24日(1936年)

文也も詩が好きになればいいが。二代がゝりなら可なりなことが出来よう。俺の蔵書は、売らぬこと。それには色々と書き込みがあるし、何かと便利だ。──── 迷いは俺がサンザやったんだ。俺の蔵書は少ないけれど、俺は今日迄に五六千冊は読んでいる。色んなものを読んだのだ。しかし。それが役立ったとしても、それを読んだだけの時間をもっとノンビリ呼吸していたら、もっと得をしたかも知れぬのだ。

8月14日

文也漸く舌が廻り出す。一ヶ月に二つ位ずつ単語が増える。来年の春頃には、簡単な話が出来るだろう。

『汚れつちまつた悲しみに  −  私の人生観』中原中也著 吉田凞生編

しかし、こうした中也の我が子との平穏な日々も、決して長くは続きませんでした。せっかく手にした束の間の幸せも、あっけなく中也の手もとから奪い去されるのです。

それは、文也が生を受けて、わずか二年後のこと。

11月10日(1936年)

午前九時二十分文也逝去

『汚れつちまつた悲しみに  −  私の人生観』中原中也著 吉田凞生編

死因は小児結核でした。

中也の日記には、「文也の一生」と付された文章が残っています。たった3ページほどの文章量ながら、息子と過ごした大切な記憶と記録とが丹念に綴られています。

また、亡き文也とのささやかな日常を綴った詩も残しています。

また来ん春…….

また来ん春と人は云う
しかし私は辛いのだ
春が来たって何になろ
あの子が返って来るじゃない

おもえば今年の五月には
おまえを抱いて動物園
象を見せても猫(にゃあ)といい
鳥を見せても猫(にゃあ)だった

最後に見せた鹿だけは
角によっぽど惹かれてか
何とも云わず 眺めてた

ほんにおまえもあの時は
此の世の光のただ中に
立って眺めていたっけが……

出典 : 『在りし日の歌』中原中也著 | 青空文庫

この最愛の息子の死の衝撃と、不慣れな葬儀の準備や応対などで、ただでさえ神経衰弱を患っていた中也はすっかり心身をすり減らし、母親の過剰な心配もあってか精神病院に幽閉のような形で入院させられることになります。

その場所で見た入院患者たちのむきだしの狂気に、いっそう気を病んだ中也は、ようやく退院が決まったものの、退院後も一向に体調は回復せず、徐々に衰弱していきました。

そして、文也の死から約一年後、我が子を追うように、詩人中原中也も、急性脳膜炎によって30歳の若さで亡くなるのでした。

 

中原中也全詩集 (角川ソフィア文庫)

中原中也全詩集 / 中原中也

 

私の上に降る雪は―わが子中原中也を語る (講談社文芸文庫)

私の上に降る雪は―わが子中原中也を語る / 中原フク、村上護編

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2017-01-24 | Posted in 作家の言葉