平田オリザ『下り坂をそろそろと下る』要約と感想 | コップのお話 〜体と心と自然の物語〜
 

ホン、モノ

平田オリザ『下り坂をそろそろと下る』要約と感想

 
Glass Story

坂の上の雲と、下り坂の夕焼け

“まことに小さな国が、開花期をむかえようとしている。”

これは、司馬遼太郎が明治期の青年たちを描いた『坂の上の雲』の冒頭。

 

ドラマ版「坂の上の雲」のオープニングの渡辺謙のナレーション。

 

この冒頭部を引用し、ただ無邪気に、やみくもに、坂の上に浮かぶ雲を目指して近代化の道を歩み、世界を驚かせた明治期の日本と、その後の完膚なきまでの敗戦、そして昭和の高度成長と、これからの日本のありかたを、一つの「物語」のように綴った、平田オリザの『下り坂をそろそろと下る』。

地方創生や政治の話も絡んでくるのですが、決して堅苦しくなく、劇作家らしい美しい構成で、読み物としても非常に面白い一冊です。

そして、僕たちの今生きている世界、価値観が、かつて坂の上の雲を夢見た若者たちと地続きなのだと教えてくれる。

 

この国には、はっきりとは目には見えない、しかし隅々にまで沁み渡った「コンプレックス」があります。

そのコンプレックスの根は、欧米列強が東洋を侵略しようと次々におとずれた19世紀半ばに遡ります。当時、危機感に襲われた日本は、このままでは駄目だと、明治維新を起こし、文明開化を果たし、脱亜入欧を求め、培ってきた文化を壊し、新しく近代化を促進していきました。


PR


しかし、東洋の小国の「入欧」を、根底の部分では欧米は許しません。

どれほど日本が文化を生贄に捧げ、近代化を果たそうと、軍事的に力をつけようと、本当の仲間に入れてもらうことはできず、やがて「脱亜入欧」は「鬼畜米英」に変わっていきます。

そうして生じた戦争で、日本は再び敗北の傷を、70年たった今でも、激しい痛みと歪みの噴き出るような深い深い傷を負い、気づけば、「鬼畜米英」は、「対米従属」になっている。

 

19歳で終戦を迎えた詩人の茨木のり子が、なぜ私たちは戦争をしなければならなかったのかという疑問を晴らせてくれたと語る、金子光晴の「寂しさの歌」という詩を、平田オリザさんは、この本のもう一つの重要な作品として挙げています。

その前に、まずは、茨木のり子が戦争について想いを吐露した「わたしが一番きれいだったとき」を紹介したいと思います。

 

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがらと崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
誰もやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように ね

 

金子光晴の「寂しさの歌」は、少し長いので、ここでは『下り坂をそろそろと下る』で引用された一節を。

 

遂にこの寂しい精神のうぶすなたちが、戦争をもってきたんだ。
君達のせゐじゃない。僕のせゐでは勿論ない。みんな寂しさがなせるわざなんだ。

寂しさが銃をかつがせ、寂しさの釣出しにあって、旗のなびく方へ、
母や妻をふりすててまで出発したのだ。
かざり職人も、洗濯屋も、手代たちも、学生も、
風にそよぐ民くさになって。

誰も彼も、区別はない。死ねばいゝと教へられたのだ。
ちんぴらで、小心で、好人物な人人は、「天皇」の名で、目先まっくらになって、腕白のようによろこびさわいで出ていった。

 

日本人は、ただただ寂しかった。その寂しさから、今の僕たちは再び目を逸らそうとして、「寂しさの釣り出し」に合っている。「もう一度、世界一を」と。

平田オリザさんは、新しい「この国のかたち」を模索するにあたって、僕たちは、この「寂しさ」と向き合う必要があると言います。

彼の言う「寂しさ」を具体的に挙げると、それは例えば、もうこの国は工業立国ではないこと、もうこの国は経済成長を果たすことはないということ、そして、コンプレックスを払拭できるような、アジアで唯一の先進国ではない、ということ。

今の政治の中枢にいる世代と重なり、技術者でもある僕の父もまた、まさにこの三つを誇りにしてきました。

そして、この三つを手放すことは、手放すことの「寂しさ」と向き合うことは、たとえ、どんな現実と直面してもできないことなのだと思います。かつて軍人も政治家も民衆さえもが戦争を止めようとすることができなかったように。

 

この『下り坂をそろそろと下る』では、その寂しさに耐えながら、そろそろと、かつて駆け上った坂を下っていく、そのありかたを実践する、幾つかの地域が紹介されています。

たとえば、瀬戸内国際芸術祭の小豆島。コウノトリの郷として環境と経済の共生を図る豊岡市。創造性や多様性を重視した試験制度で注目される善通寺市の四国学院大学。

どれが絶対的な正解ということでもありませんが、ただ、その一歩、その試行錯誤の集積が、ゆっくりと時間をかけて、この国の新しいかたちになっていくのだろうということを予感させるものばかりでした。

子規が見た、あるいは秋山兄弟の見た坂の上の雲は、あくまで澄み切った抜けるような青空にぽかりと白く浮かんでいたことだろう。

しかし、そろそろと下る坂道から見た夕焼け雲も、他の味わいがきっとある。夕暮れの寂しさに歯を食いしばりながら、「明日は晴れか」と小さく呟き、今日も、この坂を下りていこう。

『下り坂をそろそろと下る』平田オリザ著

 

下り坂をそろそろと下る (講談社現代新書)

下り坂をそろそろと下る / 平田オリザ 

 

里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く (角川oneテーマ21)

里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く / 藻谷浩介

0
2017-04-01 | Posted in ホン、モノ