医者嫌いで予防接種も反対だったフランツ・カフカ | コップのお話
 

からだと自然, 文学と芸術, 作家の言葉

医者嫌いで予防接種も反対だったフランツ・カフカ

 
Glass Story

医者嫌いの作家、フランツ・カフカ

今から約100年前、19世紀の終わりから20世紀初頭のチェコ・プラハの作家フランツ・カフカは、とにかく「医者嫌い」で、予防接種に対しても反対だった。

作家で医者嫌いと言うと、「偏屈ジジイ」みたいな人物像を想像するかもしれないが、カフカは決してそういうタイプの作家ではない。

繊細で、心身ともに病弱な人生だった。

それでは、カフカが医者嫌いな理由とは一体なんだったのか。カフカにとっては「医者嫌い」の理由、すなわち西洋医学、近代科学の限界と、カフカの作品、あるいは作家のスタイルとは切っても切り離せない関係にある。

まず、その医者嫌いの様子がよくわかるカフカの手紙や日記を紹介したいと思う。

 


 

有名な医者のことなどぼくは信じないのです。信じるのは、医者が自分はなにも知らないと言うときだけです。

フェリーチェ・バウアーへの手紙(1912年)

 

医師の診察。先生はすぐさまぼくにぐいと迫る。ぼくは文字通り自分を抜け殻にし、先生は空っぽのぼくのなかに空っぽの言葉を、軽蔑されつつ反論も受けぬまま、吹き込む。

日記(1913年)

 

医学がやっていることなんて、苦痛でもって苦痛を手当てしているだけじゃないですか、それを「病気と闘った」なんて言っているんです。

グレーテ・ブロッホへの手紙(1914年)

 

昨日、再び彼のもとを訪ねた。彼はいつもよりは明晰だったけれど、彼の、いやあらゆる医者の特質は依然として保たれていて、どうしたって無知もいいところだし質問するほうもどうしたってすべてを知りたいと思うしで、だから内容のないことを繰り返すか大事なところで矛盾したことを言うばかり、言を左右してはぐらかそうとするんだ。

オットラ・カフカへの手紙(1917年)

 

あるのはたったひとつの病気だけ、それだけなんだ。そしてこのひとつの病気を医学はただやみくもに狩り立てる。果てしない森また森へと、一匹のけものをひたすら追い立てるがごとくに。

マックス・ブロートヘの手紙(1921年)

 


 

カフカは決して感情だけで医者を嫌っていたわけではなかった。それは、この医学について言及している手紙のなかの、たとえばグレーテやマックスに宛てた文面からも分かる。

 

彼は、最後は結核に罹って亡くなるが、それまでのあいだも、今で言うところの様々な自律神経失調症、心身症に苦しんできた。しかし、そのことはほとんど周囲に理解されることはなかった。

彼の20代後半に書かれた日記にも、「母はぼくのことを、丈夫で若いくせに自分では病気だと思い込んで少しばかり苦しんでいるのだと思っている」と綴られている。

医師の診察や治療も、根本的な解決策とはならなかった。それはカフカの表現を借りれば、「苦痛でもって苦痛を手当てしている」に過ぎなかった。

 

 

カフカが医者嫌いの理由

カフカは、医者の矛盾に満ちた言動にも関わらず偉そうに振る舞う、その「権威的な態度」にも腹を立てていたが、しかし、もう一つ、彼を「医者嫌い」にさせる根本的な理由がある。

彼は、医学(西洋医学)の本質的な問題点として、単一の原因から症状(苦痛)が生じ、その症状(苦痛)を別の苦痛でとり去ろうとする、その思考方法そのものに異議を申し立てていたのである。

学問的医療に対する楽観主義が世に広まっている。その単一原因説に皆しがみついてもいる。当時のそんな風潮を、カフカは偏狭なものと捉えていた。彼はその人生で多くの医師に診察を受けたが、彼らの言うことは往々にして矛盾する。

医師がまとう権威性と、学問的医学がもたらす知識の細分化やさまざまな面での不安定さとは、奇怪なほどに不釣り合いだというカフカの認識は、そのことでさらに強まった。

『この人、カフカ? ひとりの作家の99の素顔』ライナー・シュタッハ著 本田雅也訳

当時、と言うが、実態は今もほとんどこの状況は変わらない。カフカは、その思考法から抜け出すために、やがて「自然療法」の考え方に傾倒していった。

 

 

 

カフカと自然療法

自身の苦痛は西洋医学的な思考モデルでは解決できないとカフカは考え、そして彼は、「自然療法」の考え方を取り入れた。

学問としての医学(日本で言うところの「西洋医学」)に対するカフカの見解は、自然療法の概念に影響を受けている。神経過敏や不眠、頭痛といった不定愁訴的な症状を薬剤で治療することに、カフカは強く反発した。

そのかわりとして彼が傾倒したのは、健康的な食生活、野外活動、大気浴や日光浴だった。

国によって義務づけられた予防接種もカフカは拒否した。つまり、今日の目から見ればカフカは疾病の「ホリスティック」な、心身統合的なモデルに与していたといえる。

『この人、カフカ? ひとりの作家の99の素顔』ライナー・シュタッハ著 本田雅也訳

複雑に絡み合った原因によって、「頭痛」は生じる。しかし、西洋医学は、この「頭痛」を原因ととらえ、「頭痛薬」を処方し、痛みを見えなくすることで「治った」とする。

しかし、それは「苦痛でもって苦痛を手当てしている」だけである、とカフカは考えた。


PR


治癒のためには、この最初の「複雑に絡み合った原因」に対応する方法を考えなければいけない。こうして「自然療法」の思考法に興味を持つようになっていったのだった。

カフカは、当時有名だった自然療法家の影響を受け、医学や予防接種は駄目だ、と親友に語っていた。

また治療家は、「窓を開けて寝る」「日光浴」「庭仕事」を勧め、カフカは生涯を通じてこのアドバイスを守った。定期雑誌も、亡くなる直前まで購読し、プラハに自然療法の団体を設立したいと本気で考えていた。

 

 

カフカと書くこと

カフカにとって「書くこと」は美しい芸術表現などではなく、症状の一端だった。

一見すると奇怪に思える彼の作品(「変身」や「断食芸人」)だが、彼は意識的にそのシュルレアリスムな作品を世に問うたわけではなく、自身の極めて素朴な感覚(リアリズム)を作品にした。

彼は症状として、あるいは、症状のことを作品にし、同時に治療のことは「自然療法」に影響を受けた。

作家フランツ・カフカにとって「書くこと」と「自然療法」の二つは、切っても切れない関係性だったのである。

 

病者カフカ―最後の日々の記録

病者カフカ―最後の日々の記録 / ロートラウト ハッカーミュラー

 

変身・断食芸人 (岩波文庫)

変身・断食芸人  / フランツ・カフカ

0
2017-06-25 | Posted in からだと自然, 文学と芸術, 作家の言葉