日本人はなぜ立ち止まれないのか | コップのお話 〜体と心と自然の物語〜
 

社会とビジネス

日本人はなぜ立ち止まれないのか

 
Glass Story

日本人は、すぐにその一部になってしまう、という文化的性質がある。

戦前の日本が「空気がそうさせた」と言って立ち止まれなかったことも、自然を大切にしてきた国民が戦後国土をあっという間にコンクリートで固めてしまったことも、意見や所属を否定されると信仰を汚されたように怒ることも、この「一部になってしまう」ことに起因する。

それはきっと自然という宇宙を自分のなかに内包し、かつ内包される(一部である)という古来の自然観に由来するのだと思う。

日本人は、客体化することが苦手だ。

たとえば科学一つとってもそうで、「科学」という思考法は絶対的なものではなく、東洋的な見方もあるし、「科学」自体も常に更新されていく。

科学的な思考法というのはひとつの眼鏡にすぎず、このおもちゃで自由に遊んでいいものなのに、その一部になって、否定するものは絶対に許さない、といった過剰な対応に出る。

欧米は、「個人」があって、あるいは「神」があるので、客体化が巧みだ。「自然」も、「科学」も、客体化し(目の前に二つをポンと並べるイメージ)、自由自在に遊ぶ。

近代戦争で強いのも、ビジネスで常に世界を変えるのも、気軽に休みが取れるのも、物事を客体化し、操作するのが上手だからだ。

もちろん、そのことを手放しで賞賛しているのではない。

僕は「一部になる」感性が大切であり、素晴らしいものだと思っているし、客体化する思考法によって優生思想も遺伝子操作も生まれる。

ただ、西洋というのは、ほんとうにそういうのが上手だ、ということを知り、また自分たちの「一部になる」感覚を大切にしつつ、「一部になってはいけない」ものを把握し、かつこの二つを使い分けること(なんて大変なんだ)が、日本人には求められる。

戦後の反省というのであれば、この複雑な認知の混乱についてもしっかりと考える必要があった。

日本という国は大きな恐ろしい機械になってしまって、その機械が狂ってその国土を鉄の歯で食いちぎろうとしているのに、誰もその機械を止めることができない。そう考えると、背中にゾッと冷たいものが走ります。

『美しき日本の残像』アレックス・カー著

もしかしたら世界で最初にロボットになるのは、日本人かもしれない。

0
2017-10-11 | Posted in 社会とビジネス