白石隆浩容疑者(座間・自殺サイト事件)のサディスト的な心理分析、性的興奮による「快楽殺人」が本当の動機、目的か | コップのお話 〜コップの水が溢れるように〜
 

こころ

動機は「快楽殺人」か、白石隆浩容疑者の酒鬼薔薇聖斗に通ずるサディスト的な心理

 
Glass Story

事件の概要

自殺サイトやツイッターを通じて出会った人々が次々に殺され、現在分かっているだけで九人の遺体(八人が女性)が容疑者宅である座間のアパートで見つかった事件。

逮捕されたのは、座間市に住む無職の白石隆浩容疑者(27)である。

彼の部屋にはクーラーボックスや大量の箱が置かれ、頭部やバラバラになった遺体が詰め込まれていたと言う。

まだ動機や経緯など詳しくは分かっていないが、被害者の多く(半数近く)が10代女性で、彼女たちとはツイッターなどを通じて知り合ったようだ。

ツイッター上で自殺願望を発信している女性を見つけては、白石容疑者のツイッターのアカウント(「首吊り士」)が「良い死に方がある」「一緒に死のう」という風に誘い出したことが分かっている。

 

 

動機は強姦? 金銭?

白石容疑者は、被害女性の自殺をただ幇助しただけではなく、生きているあいだに強姦してから殺していると供述している。

この供述から考えると、動機は性的欲求を満たすため(強姦目的)だろうか。

実際、最初の犠牲者であるカップル以外、被害者は全員女性で、しかも10代、20代と、若い女性に絞って声をかけていたことからも、強姦目的だったことが窺われる。

しかし、仮に強姦だけが目的というなら、何も自殺志願者に絞らなくてもいいのではないか。また次々に殺すこともなかったのではないだろうか、という疑問を抱く。

驚くほど短期間(二ヶ月で九人)のあいだに殺されているのである。

一方で、白石容疑者は「金銭目的だった」と動機について語っている。事実、多いときは数十万円を奪っているようだ(罪状で言えば、連続女性強盗・強姦・殺人遺体遺棄事件と言ったところか)。

この「金銭目的」という動機についても疑問符がつく。

金銭目的なら、明らかにそれほど金銭を持っていないであろう10代、20代の自殺志願者の女性を狙う必要性が皆無だし、以前風俗店のスカウトをしていたというのだから、知り合いのツテなど別の方法は幾らでもあったのではないだろうか。

 

 

動機は、殺人で性欲を満たすサディスト的な「快楽殺人」

私は、白石容疑者の事件の動機というのは、彼自身のなかでも混乱している、あるいは隠したがっている(目をそらしたがっている)のではないか、と思う。

パトカーで連行される車中で、白石容疑者は自分の顔を手で覆っていた。顔(特に「目」)を手で覆うという仕草は、自分のコンプレックスや表情、心のうちを隠す心理の現れであろう。

それでは、彼が、隠そうとしている、(「金銭目的だった」といった供述によって)誤魔化そうとしている、本当の動機とは何か。

事件の動機、それは「殺人によって性欲を満たす」、サディスト的な「快楽殺人」ではなかろうか。

以前から、彼は「生きている意味がない」と語り、彼自身「死にたい」とよく零していた、という話がある。

こうした心理状況のときというのは、意識は夢うつつな状態となっているケースも多く、朦朧とした意識状態では、激しい「生」の感覚を欲望する。

この欲望が、たとえばランニングや音楽ライブなどに向かう場合は健全であるが、過剰なトリップ感覚志向に向かうと、ドラッグや猟奇的なセックスに行動が激化していく。

そして、その極地が「サディスト」や「マゾヒスト」であり、殺すことそのものが性的快楽に繋がる、「快楽殺人」である(遺体をバラバラにしたり頭部だけを保管する、というのも征服欲の現れだろう)。

彼にとっては、おそらく強姦することが目的というよりも(もちろん金銭目的などでもなく)、より陰鬱に他者を蹂躙すること、ただただ「殺す」ということ、「バラバラにする」ということそのものが動機であり、性的な興奮を満たす材料であったのではないか。

 

このサディスト的な快楽殺人について思い起こされるのが、神戸連続児童殺傷事件の犯人「酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)」である。

酒鬼薔薇聖斗は、自分のことを「透明な存在」と言い、少年時代には映画の暴力シーンや動物の解剖シーンを見ながら自慰行為を行なっていた。

酒鬼薔薇は、被害少年の首を絞め、切断する際に性的興奮を覚え、そして、「作品」である首を校門の上に置く瞬間もまた強い性的興奮に満たされたと言う。

 

ドラッグがやめられない原因の一つに、ドラッグを使いながらセックスを行っているときの興奮が忘れられない、ということが挙げられる。

いったん身体的な快楽を覚えると、その依存から抜け出すことは容易ではない。

酒鬼薔薇聖斗が、少年時代に「性」と「死」の結びつきを体験してしまったように、白石容疑者もまたどこかのタイミングでそうした「快楽」の萌芽が体内に刻み込まれたのかもしれない。

専門家が、将来こうした猟奇的犯罪者になるかもしれない予兆や共通点を聞かれた際、少年時代に「生き物を殺す」ことを挙げるのも、このような理由からであろう(生き物を殺すこと自体は、子供なら誰でもするし、命の教育の側面もある。問題は、その「動機」である)。

 

 

この事件が投げかける問い

この事件は、彼自身の「狂気」では収まらない、様々な問いを我々に投げかける。

その一つが、彼の「生きている意味がない」と思う社会環境や精神状況、離人症的な意識状態である。また、彼のような死神(首吊り士)的サディストの誘惑に、入り込んでしまう若者たちの孤独である。

そして、メディアの白石容疑者個人の経歴や心理的狂気にのみフォーカスする責任逃避的な姿勢である(正体不明の恐怖心ゆえに、一定の解釈や一個人の狂気に収めたいという心理が働く)。

今の若者たちと、若者たちの生きる世界をつくってきた「大人たち」の、こうした責任逃避的な姿勢こそが、問題の本質にあり、この姿勢を改めない限り、こういう事件はますます増加の一途を辿ることになるだろう。

0
2017-11-05 | Posted in こころ