海外の専門医が語る、離人症の治療法 | コップのお話
 

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海外の専門医が語る、離人症の治療法

 
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縦棒  現実感がない、世界が夢のように感じる「離人症」とは

膜が張ったように世界が遠い、生きている現実感がない、という状態を「離人症(りじんしょう)」と呼びます。

これは、「離人症」という言葉の通り、「自分が自分から解離してしまっている」状態を指します。

離人症の歴史は古く、日本よりも海外で先に問題となりました。

オーストリアの精神分析医ポール・シルダーは、すでに1928年に次のような記述を残しています。

 

離人症の人の目には、周りの世界は、異様で、奇妙で、なじみがなく、夢のように映る。物はときおり不思議なほど小さく見え、平たくなることもある。音は遠くから聞こえるように思える。

情動もやはり、著しく変化する。患者たちは、苦痛も快感も経験できないと苦情を言う。

彼らは自分自身に不案内になってしまったのだ。

 

このシルダーの記述は、離人症の症状を正確に描写しています。

ボストン大学医学部教授で、アメリカの「トラウマ」に関する専門医であるベッセル・コークは、近著『身体はトラウマを記憶する(2016年)』で、離人症の治療法と、そのきっかけとなる「トラウマ」の関連性について、シェリーという女性の症例及び完治までの体験談とともに綴っています。

ここでは、専門医であるコークの著書を引用しながら、アメリカの最新の離人症に関する原因と治療法について順を追って丁寧に紹介していきたいと思います。

 

 

縦棒  離人症の女性シェリーについて

シェリーがはじめてコークの病室を訪れたとき、シェリーはひどく世の中を恐れ、身を隠すように体をうずめて部屋に入ってきました。

そして彼女は、自分の腕や胸の皮膚を血が出るまで引っ掻いたり剥がしたりする「スキン・ピッキング」がやめられない、と抑揚のない声で語ります。

シェリーの話によれば、彼女の経歴は次のようなものでした。

シェリーの母親は自宅を児童養護施設にしており、彼女が物心ついたときには家には十五人近くの見知らぬ子供たちで溢れていました。

子供たちは気性も荒く、日々不安に怯えながら、ときに人をぞっとさせるようなことも行います。

シェリーは彼らの世話をしながら育ったのですが、家にはいつも居場所がなく、心が落ち着くことはありませんでした。

私の存在はこの家に望まれていないのではないか、という不安が常に彼女の心の奥に影を落としていました。

あるとき母親は、シェリーに冗談めいた笑みを浮かべながらこう言いました。「あなたは私の子供じゃないかもしれないね。病院で違う子をよこしたんだと思うよ」

こうした幼い頃の非情なネグレクトは、ときに身体的虐待や性的虐待と変わらないほどの傷を及ぼすことは、過去の症例からも明らかでした。

 

誰の目にも留まらず、誰にも知ってもらえず、どちらを向いても安全に感じられないというのは、何歳の人にも著しく有害だが、幼い子供にとってはなおさらだ。

彼らはまだ、世の中に自分の居場所を見つけようとしているところだからだ。(『身体はトラウマを記憶する』より)

 

シェリーは大学を卒業すると、退屈でありふれた事務職につきました。友人は一人もおらず、猫と一緒に暮らす日々でした。

男性関係についてコークがシェリーに尋ねると、唯一関係を持った異性は、シェリーを誘拐し、レイプした男だ、と話しました。

大学の休暇に旅に行き、旅先で誘拐され、犯人は五日間彼女のことを繰り返しレイプしたと言います。

彼女は、ほとんどの時間を恐怖のあまり凍りつき、丸くなって過ごしましたが、やがて、逃げようとすれば逃げることができると気づき、男がバスルームにいるあいだに逃げ出すと、母親に救いの電話をかけました。

しかし、シェリーの母親は、この着信を拒否しました。

その後、シェリーはシェルターに駆け込み、心身ともに傷ついた彼女はようやく家に帰ることができたのでした。

 

 

縦棒  自傷行為(スキン・ピッキング)をする理由

なぜ、シェリーは皮膚を引っ掻いたり剥がしたりといった「自傷行為」を繰り返すのか。

その理由についてシェリーは、麻痺したような感覚がいくらか和らぐから、という風に説明します。「スキン・ピッキング」という身体的な痛みを伴う方法によって、彼女はほんの少し、気持ちよく、生きている実感を取り戻すのでした。

シェリー自身が語るこうした理由からもわかるように、自傷行為は必ずしも「自殺未遂」とは言えません。

 

私の体験では、自分の体に傷を負わせたり、シェリーのようにスキン・ピッキングをしたりする患者は、自殺の恐れがあることはめったになく、自分の知っている唯一の方法で気分を良くしようと試みているだけだ。(『身体はトラウマを記憶する』より)

 

確かに、気分をよくしようとして、こうした方法を選ぶことは、多くの人々からすると奇異に映るかもしれません。

苦悩や不安感に対しては、自分のことを愛してくれる人を見つけたり、自転車やジムに通って体を動かす、といった行動で自分の感情を調整するもの、と考えるのが「普通」です。

しかし、こうした「普通」の手法は、幼い頃から空腹のときに授乳をしてくれたり、寒いときに毛布をかけてくれたり、SOSの声に応えてくれる、といった経験によって学習していくものなのです。

その経験が乏しく、泣きたいときに泣かせてもらえず、泣き止まないようならもっと泣かせてやる、といった環境で育てば、自分自身の面倒を見る手段を自分で見つけなければなりません。

そして、また自尊心も低いため、「自分を責める方法」を選ぶようになります。

たとえば、「薬物、アルコール、過食、カッティング(自分の体を切る行為)」など、自分の価値を貶め、傷つけ、かつ、身体的安息を得る方法を試すようになるのです。

 

 

縦棒  離人症と身体

しばらくカウンセリングを続け、約束通り毎回病室を訪れたシェリーでしたが、彼女とのあいだにもう一歩信頼関係が築けないとコークは感じました。

また彼女が、いつも凍りつき、身体的な緊張がとれていないと思ったコークは、知人のマッサージセラピストであるリズを紹介しました。

コークの指示通り、シェリーはリズの治療院を訪れました。

このリズの治療院で、「事件」は起きました。

リズが、シェリーの施術を行うためにマッサージ台に彼女を寝かせ、シェリーの足をそっとつかんだとき、シェリーは突然パニックを起こし、「どこにいるの?」と叫んだのです。

シェリーにはリズの場所が分からずにパニックを起こしたのでした。

コークは、このときのシェリーの状況を知り、またシェリー以外の過去の事例からも、トラウマやネグレクトの犠牲者の多くに、この「体と意識との深い断絶」があるということがわかってきました。

この離人症と身体の関係性は、トラウマや精神医学の専門医たちに欠けていた視点でした。

 

私は、自分が受けた、理解と洞察に焦点を絞る専門教育が、自己の土台である生身の体の重要性をほとんど無視していたことに気づいた。(『身体はトラウマを記憶する』より)

 

この「症状」に気づいたコークは、自分の病院に通院する患者たちに、目を閉じてから手を広げ、手の上に置いたものが何であるかを質問しました。

手の上には、車のキー、缶切り、硬貨などを置きましたが、患者の多くが、置かれた物体が何か想像さえできませんでした。

トラウマの経験者は、知覚、感覚がうまく働いておらず、意識よりも「身体的な感覚」が鈍感になっていたのです。

感覚が鈍ると、ちょうど麻痺したように、今ここに立って確かに「生きている」といった実感が失われます。

これこそが、「離人症」と呼ばれる状態の正体だったのです。

以下は、1884年にアメリカの心理学の父ウィリアム・ジェイムズの論文で紹介された「感覚麻痺」の女性が語った内容です。

 

私は、人生を快くしうるさまざまなものに囲まれているというのに、それでも私には喜んだり感じたりする能力が欠けています。

私の感覚のそれぞれ、私の本来の自己の各部が、私から切り離され、もはやどのような感情も抱かせてくれないようです。

この状態は、自分の頭の前部に感じる空白に拠っているようであり、自分の体の全表面における感覚能力の鈍麻のせいのように思えます。なぜなら、私は自分が触れるものに、実際にはけっして手が届いていないように思えるからです。

 

積年のストレス状態や深刻なトラウマを抱えたPTSD患者の脳をスキャンすると、こうした状態を裏付ける科学的な論拠も見つかりました。

彼らは、内側前頭全皮質など脳の「自己感知領域」の、どの部分も活性化していませんでした。

なぜか。身体は、「トラウマ」に対応するために、特定の脳領域の機能を停止する(鈍らせる)ことを選んだのです。

ここは、外敵に対する恐怖や、内蔵で感知する情動を伝える領域でもあり、この領域は「私は誰か」という感覚の土台となる部分でもあります。

しばしば、レイプやネグレクトなどに遭ったときの恐ろしい情動に対し、「他人事」のように感じることで自分の精神を守る、ということが言われます。

レイプ被害者が途中から無抵抗になるのも、必死に抵抗すれば「今被害にあっているのは私だ」という認識が深まり、傷がいっそう深く残るため、防御反応として「それは私ではない」という感覚を生じさせるのです。

無抵抗だからと言って、決して「合意」ではありません。

こうして強烈な事件や、あるいは不安や恐怖などの長期的なストレスによって、身体はその感覚を遮断しようと試み、「生きている」という感覚さえも弱めていくのです。

 

この状態こそが、「トラウマ」と「離人症」の関連性も物語っています。

離人症の原因は、トラウマ的な恐怖や不安、緊張、また積年のストレスであり、離人症とは、傷みの感覚を麻痺させようとして生じる、心身の「生きている」という感覚の不活性化だったのです。

 

 

縦棒  離人症及びトラウマの治療法

こうした離人症及びトラウマの治療法として、自分自身の「生きている」という身体的な感覚、確かな自己認識の感覚を、もう一度再統合、再教育していくことが必要となります。

しっかりと「感じられる」ようにする。

そのために、コークは「身体的感覚」「身体のリラックス」の重要性を説きます。

 

トラウマの犠牲者は、自分の体内の感覚になじみ、その感覚と仲良くなって初めて回復が可能になる。おびえているというのは、いつも警戒している体の中で暮らすことを意味する。怒っている人は、怒っている体の中で暮らしている。

児童虐待犠牲者の体は、リラックスして安全に感じる方法を見つけるまで、緊張して自己防衛が過剰であり続ける。

人は、変わるためには、自分の感覚や、自分の体が周りの世界とどのように相互作用するかを自覚する必要がある。身体的な自己認識は、過去による独裁的支配から解放されるための第一歩なのだ。(『身体はトラウマを記録する』より)

 

コークの考える離人症の治療法の一歩として、まずは圧力や熱、筋肉の緊張、うずき、空虚さ、あるいは呼吸や仕草といった、体の「感じ」を自覚できるよう目指します。

ただ、注意が必要なのは、患者によっては「激しいトラウマ(心の傷)ゆえに感覚を遮断している」場合もあるので、その正しい感覚を取り戻せば、ときにフラッシュバックや身を屈めるなどの身体的な防御反応が現れることもあります。

だから、離人症の治療として身体的な感受性の再教育を行う場合、身体を緩め、その「扉」を開けながら(正しく感じられるようにしながら)、同時に溢れ出す情動(不安感や焦燥、動悸など)に対し、「安心」を与えてあげる必要があります。

また、不安になった際に自分自身でコントロールする術(呼吸法やヨガなど)を教えてあげることも大事です。

こうした術を教える代わりに、その都度精神安定剤のような向精神薬を処方することは、返って「逆効果」であり、薬を使わない方法をコークは推奨します。

なぜなら、「これらの医薬品は感覚を鈍らせるだけで、そうした感覚を解消」することに繋がらないからです。

 

彼らは、身体的感覚を感じるように心を再教育してあげる必要があり、体が触れ合いの快適さに耐え、それを楽しめるよう、手助けしてあげる必要がある。

情動的自覚を欠く人も、練習を重ねれば、自分の身体的感覚を心理的事象と結びつけられる。そうなれば、再び自分自身と少しずつ結びつくことが可能になる。(『身体はトラウマを記録する』より)

 

さて、シェリーは、リズのもとでマッサージセラピーを受けたことで、コークも目を見張るほどの回復を見せました。

ほとんど完治と言ってもいい状態で、以前よりも日々の生活でくつろぎ、コークに対しても心を開けるようになりました。

リラックスした心持ちでカウンセリングを受け、自分の思考や行動、感情に興味を覚えていきました。スキン・ピッキングもやめ、夏の夜には近所の人々と喋り、教会の聖歌隊に参加するようになりました。

シェリーは、遠く解離した「離人症」状態から、徐々に「主体性」を取り戻し、「今、ここ」に在る感覚に住まうことができるようになっていったのです。

曖昧だった自分と他者や夢と現実との境界線が引けるようになっていきました。

 

 

縦棒  離人症に関する記事のまとめ

離人症にさいなまれる人々は、(長年、ないしは何かしらの事件などトラウマ的な事象によって)深い「傷」を負い、知らないあいだに感覚ごと閉ざしてしまっています。

自分は今どこにいるのだろう。

自分は一体誰なのだ、と淡いひかりの射し込んだぼんやりとした世界の真ん中で迷子になっている。

この離人症の治療法として、「身体的なアプローチ」が効果的になってくる、とアメリカの専門医は指摘します。

トラウマによる長期の緊張状態によって、離人症に加えて背中の痛みや偏頭痛、線維筋痛症など慢性疼痛を併発していることも多いと言います。

身体的アプローチとしては、マッサージやヨガ、東洋医学としてツボや整体なども効果的だと僕は思います。

徐々に身体的な感覚が取り戻せるようになったら、登山やランニング、農業体験など自然と触れ合うことも素晴らしい効果を発揮するでしょう。

ただし、身体的なアプローチとともに「精神面の支え」も欠かせません。

これがトラウマを原因とした「離人症」治療の大きな特徴の一つです。

ただやみくもに「これをやれば完治するから」と押し付けるだけでは、患者は「そうしよう」とは思えません。

自分にとって正しい方法を自分の意思だけで選べるようであれば、最初から選んでいるからです。


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また、先ほども言ったように回復の過程で、麻痺させていた痛みの感情が蘇ってきます(正しく感知できるようになる、ということでもあります)。

怒りや不安感、過ぎ去ってしまった時間への寂しさや後悔に襲われ、涙を流すこともあるでしょう。

でも、それは回復の兆しです。

だから、そのとき彼らが恐れや不安から後戻りしないように、心身を安心させてあげる必要があります。

安心とは、「心地よさ」と言ってもいいでしょう。

それは言葉や表情だけでなく、たとえば、部屋が整頓されていること、植物があること、静かな時間が流れていることなども含めた、この小さな世界全体で、「あなたはここに居てもよいのだ」と感じ取れるようにしてあげることです。

 

以上のように、離人症やトラウマの治療に当たっては、言葉や環境と、身体的なケアと、両者の統合的で繊細なアプローチが求められます。

これからのトラウマや離人症など精神疾患の治療法には、コークとリズのような、マッサージやヨガなど身体感覚の専門家と、心を支える専門家との両輪が揃った体制が必要になってくるでしょう。

 

身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法

身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法 / ベッセル・ヴァン・デアて・コーク

 

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ユルかしこい身体になる 整体でわかる情報ストレスに負けないカラダとココロのメカニズム / 片山洋次郎

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2017-12-17 | Posted in こころ