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予防接種やワクチン反対派はカルトでサイコパス?

 
Glass Story

予防接種反対派は「カルト」

堀江貴文さん(ホリエモン)が、ツイッター上で、予防接種やワクチンの反対派はカルトでサイコパスだとツイート。

きっかけは、「予防接種は確実にリスクが下がるから」と言う堀江さんのツイートに、予防接種やワクチンに反対するひとがリプライしたことでした。

このリプライに、堀江さんが「サイコパス」と呟き、サイコパスは言い過ぎだとファンからたしなめられると、「じゃあカルトだ笑」と続けます。

予防接種の有効性を示すデータがあるのに、根拠を示さず反対するのはサイコパスであり、カルトだ、と言います。

予防接種反対派には、常にこの「根拠を出せ」「ソースを出せ」という意見が飛び交います。そして、その「根拠」がなければ「サイコパス」「カルト」「異常者」「異端」である、と。

自分は、こう思う。自分は、こう感じる。体験として、体感として、こうした意見を持っている、ということを許さない。「客観的な知(それも一つのフィクションなんですが)」に落とし込めない限り「存在しないもの」とする。

これが「近代」という一神教を母体とした価値観の「カルト」的な部分だと僕は思います。

たとえば、ある治療法が効果的という「根拠」と言っても、それは短期的で、単一因果的なことが多いでしょう。あれを打った、飲んだ。だから短期的にこれが変化した。長期的にどう変化したか、別の部分で影響はなかったか、と言うのは、どうしても想像力に委ねられる側面が大きい。

この想像力も、科学的根拠が由来のものもあれば実体験などが根拠のものもあるでしょうが、想像力によって語られたものは、多くの場合「存在しない」ものとされる。

だから、瞑想ひとつとっても、推進する人たちは必死に根拠を書き出そうとする。

瞑想(マインドフルネス)は、「脳内物質が」「心理学的に」と「説明」したくなる。「私(人類)が、自然の上に立っているのだ」と言いたくなる。

これが「近代」です。

瞑想の本質は、むしろこの「私が」と対立する概念なのですが、どうしても「説明」を手放せない。Googleが提唱する瞑想(マインドフルネス)プログラムの名前は、Search Inside Yourself ですからね。

でも、仕方がないのです。こうしないと近代以降の人々は不安であり、またみんな納得しないからです。

根拠はどこにあるのか、それは未来の何をもたらすのか(何のためにやるのか)ということを手放すことができない。自分を鎮め、世界に耳を傾けるためだよ、と言って企業で導入しても、「カルト」と笑われるでしょう。

こうした近代的な思考法(理性、理性、理性)によってがんじがらめになり、押し込められた無意識があると主張したのが精神分析学のフロイトであり、シュルレアリスムの芸術家たちです。また、世界は合理的に説明できないことがあるんだよ、と描いたのが、カフカやカミュの不条理文学です(ちなみにカフカは予防接種反対派でした)。

そして、合理性を追求し、シュルレアリスティックな絵画を「頭のおかしな連中だ」と弾圧したのが、アドルフ・ヒトラーです。

もう100年近く前のことですが、同じことが繰り返されていると僕は思います。

 

予防接種・ワクチンに話を戻します。

国家が、製薬会社や医学会と組んで莫大な資金をつぎ込み、有効性を広告宣伝するのは、今の科学至上主義と資本主義のハイブリッド社会では、(原発がそうであったように)避けられないことでしょう。

ただ、国民の「健康(身体)」を国家が管理し、強制する。またそれを是とし、反対するものを「サイコパス」「カルト」と言って抑え込むのであれば、それこそが「カルト」社会の始まりではないでしょうか(ヒトラーの時代には「弱者は殺す」という優生思想も科学的な結論でした)。

予防接種やワクチンを子供に受けさせることが絶対的な「愛」で、もし受けさせないのであれば、それは「児童虐待」である、と言うのは恐ろしい世界だと僕は思います。

強制と言うだけでなく、予防接種には反対です、と肩肘張らずに言える自由があるべきです。

予防接種を打たないとちょっと不安だから、というひともいれば、打つ方が不安なんだよね、というひともいる。もし必要とあれば、それぞれが、それぞれの想いを表現する。

それでいいじゃない、と僕は思います。

節度を失った「近代」は、たちまちカルト化して暴走し、何もかもを破壊し尽くすでしょう。

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2018-01-17 | Posted in からだと自然