欅坂46新曲『もう森へ帰ろうか?』、歌詞の解釈とタイトルの意味 | コップのお話 〜体と心と自然の物語〜
 

文学と芸術

欅坂46新曲『もう森へ帰ろうか?』、歌詞の解釈とタイトルの意味

 
Glass Story

欅坂46『もう森へ帰ろうか?』

アイドルグループ欅坂46の新曲『もう森へ帰ろうか?』のフル音源(ミュージックビデオ)が公開されました。

そこで今回はこの新曲『もう森へ帰ろうか?』の歌詞の解釈やタイトルの意味について考えてみたいと思います。

 

 

欅坂46『もう森へ帰ろうか?』の歌詞の解釈

この『もう森へ帰ろうか?』の歌詞を追っていくと、明らかに文明に対する批判をしていますね。

 

もう森へ帰ろうか
街にはなにも無かった
想像してた世界とは
かけ離れていたよ

こんな土も緑も無い狭い土地に
人は何に惹かれて
暮らし始めようとするのか
喧噪の中で愛語り合っても
鉄やコンクリートは温もりを伝えやしない

風の噂に洗脳されて
存在しない夢を見ていたんだ

 

これは名指しこそしませんが、文明の象徴である「東京」のことを指しているでしょう。

近代文明は、自然を破壊し、過剰な競争社会を生み出し、鉄やコンクリート、幻想や時間というもので人類をがんじがらめにしてきました。

 

空はなぜか青くもなく
汚れている
街にやって来てから
深く息もしてなかった

誰もがこぞって
ここを目指しているなら
きっと理想的な幸せがあるって思った

時間とルールに縛られて
住人たちは何を諦めた?

あの森へ帰りたい
離れて気が付いたんだよ
僕たちが信じてた
世界はフェイクだった

 

東京を中心に、「自殺」が問題視されています。

自殺とは、言い換えれば「自然に帰る」ということです。この『もう森へ帰ろうか?』の歌詞に書かれるような、森、故郷、ユートピアに歩み出すだけの余力がもう残されておらずに、ふっと「帰る」こと。それが、自殺です。

フェイクの世界で〈ひと〉は生きられません。

生きられるとしたら、それは自分自身も「フェイク」に染まりきる以外にない。しかし、それも長くは続きません。〈ひと〉はロボットにはなれないからです。

こうした曲のテーマ自体は、決して新しいものではありません。

文明批判は、文学の世界でも、アートの世界でも、20世紀初頭から頻繁に繰り返されてきました。

ただ、この『もう森へ帰ろうか?』の新しさは、それが欅坂46というアイドルグループが歌っている、という点にあります。

なぜなら、アイドルとは、まさに「フェイク」の象徴だからです。

過去アートによって切りつけられてきた「偶像」そのものが、「フェイク」を批判する。これも一つのアートの形として作詞をした秋元康さんは考えているのでしょう(秋元さんは、自分のことを「ピカソになりたい広告代理店マン」と語っているようです)。

 

 

タイトルの意味

そう考えると、この曲のタイトル『もう森へ帰ろうか?』の最後の『もう 〜 か?』というのも意味深い響きを持ちます。

かつてフランスの思想家ジャン=ジャック・ルソーの思想を象徴する言葉として、「自然に帰れ」というものがありました。

自然に帰れ

フランス啓蒙(けいもう)期の天才的哲学者ルソーの根本思想を表現する標語。自然は人間を善良、自由、幸福なものとしてつくったが、社会が人間を堕落させ、奴隷とし、悲惨にした。それゆえ自然に帰らなければならない。人間の内的自然、根源的無垢(むく)を回復しなければならない、というのである。

出典 : 「自然に帰れ」|コトバンク

意味合いとしては似ている部分もあるかもしれませんが、「もう森へ帰ろうか?」と漏れた吐息は、自分たちがもっとも「フェイク」に染まっているからこその悲しみを帯びています。

そして、歌詞の最後にも、この先を歩み続けても行き先が見つからず、振り返って輝く「あの森」を眺めながら、しかし、そこに帰ることも許されないのではないか、という悲哀が込められているように思います。

 

自分はどこにいる?
空の太陽よ教えてくれ

もう森へ帰ろうか
何度も思い直した
僕たちの行き先は
どこにも見つからない

ここから(ここから)
振り返れば(振り返れば)
輝いている(故郷よ)
あの森こそ(ユートピア)

 

語弊を恐れずに言えば、機械化した人類(ロボット)が、「もう文明には疲れた」「でも、人間に帰る道もわからない」と言っているような悲しみが、この歌にはあるのです。

あの森こそ(ユートピア)、と歌われるとき、僕の脳裏にふっとよぎるのは輝いている故郷を眺める「遠い眼差し」です。

以上、欅坂46の新曲『もう森へ帰ろうか?』の歌詞の解釈でした。

1+
2018-03-01 | Posted in 文学と芸術