文学と芸術
村上春樹と文体 − 小説を書こうと思ったきっかけと文体の模索

Glass Story
「村上春樹」のきっかけ
作家の村上春樹さんが小説家としてデビューしたのは30歳の頃でした。
彼がまだジャズ喫茶を経営していた29歳の頃に、閉店後、机に向かって夜な夜な書き上げたのが、デビュー作 『風の歌を聴け』 です(この作品で群像新人文学賞を受賞)。
小説を書こうと思ったきっかけは、これは有名なエピソードですが、ふいに訪れた、と村上さんは言います。
それは「1978年4月のある晴れた日の午後」、プロ野球の開幕戦、明治神宮球場でビールを片手に観戦していたときのことでした。
広島のピッチャーは、高橋。先頭打者はデイブ・ヒルトン。
そのヒルトンが、初球を鮮やかにレフトに弾き返したとき、村上さんは、ふと、「小説を書けるかもしれない」と思ったそうです。
バットがボールに当たる小気味の良い音が、神宮球場に響き渡りました。ぱらぱらとまばらな拍手がまわりから起こりました。
僕はそのときに、何の脈絡もなく何の根拠もなく、ふとこう思ったのです。「そうだ、僕にも小説が書けるかもしれない」と。
それまで一度も小説を書こうと思ったこともなく、「小説は読むもの」だった青年が、「書こう」と思った瞬間でした。
このデビュー作について、振り返ってみると、「自己治癒」の側面が強かったと彼は言います。それは静かに、心の奥の何かが涙のように溢れ出たのかもしれません。
「村上春樹」の文体の模索
しかし、「書けるかもしれない」と思ったからと言って、当然ながら、すぐに書き上げることができたわけではありませんでした。
村上さんは、「19世紀のロシア小説やら、英語のペーパーバックやらを読むのに夢中になっていた」ので、日本の現代小説をほとんど読んだことがなかった。
そのため、日本語でどんな風に小説を書けばいいのかよく分からなかった、と言います。
彼は、分からないながら、「小説らしいもの」を書こうと試行錯誤したのですが、納得のいくものができません。
そこで、「小説らしいもの」という既成の枠にとらわれないように、頭に浮かんだことを自由に書いてみよう、と試みます。
その一環として、村上さんが取り組んだのが、押し入れにあった英文のタイプライターを引っ張り出し、決して充分とは言えないライティング能力で、余計な贅肉を落とした、シンプルで無骨な英文によって書き綴ってみる、ということでした。
日本語だと、数え切れないほど沢山の伝えたい中身が、「私も」「私も」と複雑に往来してクラッシュする。
一方、当時の村上さんにとっての英語は、言葉や表現の数に決められた制限がありました。
その限られた言語空間で、最小限の適切な組み合わせを工夫する、ということを通して、彼は自分なりの文章のリズム、文体を探っていったのでした。
「短い文章を組み合わせるリズムの良さ、まわりくどくない率直な言葉づかい、思い入れのない的確な描写」。
そして、英文のタイプライターを片づけると、この飾り立てない、無機質な文章の一章ぶんを、もう一度、がちがちの直訳ではなく自由に、日本語に「翻訳」していきました。
─── するとそこには必然的に、新しい日本語の文体が浮かび上がってきます。それは僕自身の独自の文体でもあります。
僕が自分の手で見つけた文体です。
このとき出来た作品が、冒頭で触れた、『風の歌を聴け』、です。
こうして、無意識化で眠っていた種子が、よく晴れた春の午後、ヒルトンの二塁打のタイミングで芽吹き、その芽を、丁寧に育み、たった一つの花を咲かせたのでした。
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