文学と芸術
アンデルセン『影』の解釈 光と闇のバランスが崩れるとき

Glass Story
解釈のこと
文学や芸術は常に多義的で、観察者の生きる時代や視点、個人的な体験に「解釈」は委ねられる。
時を経て、「あの作品は、この事態を予言していたのだ」と指摘されることもある。たとえば、第一次大戦、ナチス、9、11やリーマンショックを。
しかし、それも結局は、作品の一部分と、時代の一部分を切り取って恣意的に照合してみたに過ぎない。
そのことを踏まえて、僕も、あくまで分離できない全体として存在する文学作品の、ある一部だけを乱暴に切り取って、このアンデルセン『影』の解釈を考察してみたいと思う。
光と闇
この『影』は、一言で言うと、「光と闇のバランスを失った末の人類の顛末」を語っているのだと僕は思う。
主人公の学者は、「真・善・美」という、絶対的な価値観を探求していた。
そして、その学者は、更なる「絶対的なもの」に手を伸ばそうとする。それが、バルコニーの向こうの「“なんでも知っている”ポエジーさん」である。
これは、一神教的な絶対神のことである。
彼は、バルコニーから漂ってくる魅惑的な幻想に心を奪われ、自分の分身である「影」を送り込み、その美しい光の正体を掴もうとする。
絶対神というのは、「光あれ」と叫んだように、光のメタファーでもある。
彼は、研究対象として「真・善・美」という光を追い求め、そして絶対的な光である神の領域にまで踏み込んだのだ。
目映い光に手を伸ばした学者は、やがて自分よりも強大になった「影」に乗っとられる。
主人と影の立ち位置が逆転し、学者は最後、その影によって無残に殺されることになる。
そして、影は王女と結婚する。影が、王になるのである。
この影と王女の結婚式、すなわち影が世界を治めることを祝う祝砲を、学者が、「耳にすることはありませんでした。命を奪われてしまったからです(アンデルセン『影』より)」。
人類の死
ここから先の解釈は、さらに個人的な体験や意見に引き寄せて書き進めていく。
この『影』という作品で「学者」の指し示すものは、光(神の領域)に手を伸ばした人類のことである。
そのことによって、光と闇のバランスが崩れた。光を求め、影が膨らみ、膨れ上がる闇を覆い隠すように、次々と光を増幅させていった。
光の増幅とともに増えていくものが、「癌」と「自殺」である。
癌とは、外界の光の増幅によって内面に肥大化した「影」である。精神疾患、あるいは自殺もまた、内面で膨れ上がっていく「影」である。
夜、都心を歩くと目映い光が降り注ぐ。あるいは、スマホを開くと、テレビをつけると、きらびやかな光が飛び込んでくる。
射し込んできた光によって、心の奥深くに「影」が伸びていく。「影」を恐れていっそう光を求め、「影」はますます増幅していく。
最初に影の存在を否定し、光で包み隠そうとしたことで、影は増幅を始める。こうして、その影から逃れるために、我々は中毒のように光に手を伸ばし続ける。
村上春樹は言う。「影とともに生きる」知恵と勇気を持つべきだ、と。
自らの影とともに生きることを辛抱強く学ばねばなりません。そして内に宿る暗闇を注意深く観察しなければなりません。ときには、暗いトンネルで、自らの暗い面と対決しなければならない。
そうしなければ、やがて、影はとても強大になり、ある夜、戻ってきて、あなたの家の扉をノックするでしょう。「帰ってきたよ」とささやくでしょう。
絶対的な光を肯定した神。神に倣った啓蒙主義、そして文明の光。光の増幅が「影」の増殖を招き、最後は「影」が主人となる。
その祝砲を、きっと我々人類は、「耳にすることはありませんでした、命を奪われてしまったからです」。
影 (あなたの知らないアンデルセン) / クリスチャン・アンデルセン
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