文学と芸術
言葉を大切にする、ということの意味

Glass Story
言葉を知っている
ああ、この人は言葉を知っているな、と思うことがある。
詩人や作家には限らない、身の回りにもいる。それは別に社会的な職業とはほとんど関係のないことなのだ。
ところで、この「言葉を知っている」というとき、そこには二つの意味がある。
一つは、語彙や論理の構成について熟知しているということである。
彼は、流暢に考えを表明したり、的確に問題点を指摘する。あるいは、正しい言葉遣いや巧みな比喩を盛り込み、立派な文章を紡いでいく。
昔、電車で、国語を教えているという中年の女性が、他人の言葉遣いを細かく注意し、「私はね、言葉を大切にしているのよ」と言っていた。
彼女の言う「大切」こそが、「言葉を知っている」ということの一つの意味なのである。
コトバを知っている
もう一つ、「言葉を知っている」と僕が思うときの意味合い(僕はこちらのニュアンスで使うことが多い)として、言葉にするときの手さばきや心構えというものがある。
世界にうごめく、また内面にひしめく、「言葉にできないもの」を言葉で掴もうとするときの手さばき、溢れ出るものの掬い方、また、その「言葉にできないもの」に対する、決して届かないという無力感や畏怖の念、傾ける耳。
そして、この「言葉にできないもの」には、“死者の声”も含まれる。
若松英輔は、詩人の茨木のり子に関する寄稿で次のように語っている。
死者が語るとき、必ずしも言語を媒介とはしない。井筒俊彦は人生が晩節に差し掛かった頃、言語としての言葉と、うごめく意味の顕われである「コトバ」を使い分けるようになった。
井筒の表現を借りれば、死者のコトバはときに光となり、風になり、響きになる。
「涯(はてし)もなく、夜のように光明のように、匂と色と響とは、かたみに歌う」と『悪の華』に収められた「万物照応」でボードレールが謳い上げたのは、死者ではなく「自然」と彼が呼ぶ超越そのものだったが、現前している公理は同質のものだろう。
文藝別冊「茨木のり子」河出書房新社
ここで「死者」や「自然」と表されるものは、形を持たず、世界のあらゆる場所に身を隠し、さまよい、うごめき、漂い、ときに颯爽と飛び交っている。
それは川沿いの道にも、心の襞にも、記憶の片隅にも、夢うつつの正午にも。
そういうものがあるのだと知っているということを、僕は、「言葉を知っている」と考えるのである。
知っていくこと、忘れていくこと
僕は、10代の頃、うまく喋れない時期があった。
カウンセリングに行って、一時間、一言も話せずに帰ってきたこともあった。喉につまって、渦巻いて、でも、言葉として出てこない。泣きそうになる。
古いマンションの一室。ソファーに相対するように座り、黙ったまま親から預かった封筒を手渡すのだった。
その後、僕は「言葉」を手に入れた。もう一度育んでいった。僕なりに流暢に表現できるようになった。
だけど、そこに僕は後ろめたさを持っている。あの頃の僕のほうが、真実に近かったのだ。ただ、それでは生きてはいけないから、言葉を知っていく他なかった。言葉を覚えざるをえなかった。
僕は、その過程を誇りに思っていても、そのこと自体は誇りに思っていない。
言葉を知っていった。そして、忘れていった。遠ざかっていった。遠ざかりながら、でも、そのことだけは忘れないようにしたい、と僕は思う。
彼のほうが「子供だった」などと、決して思わない。僕はいつも、「彼」に頭を下げている。
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