文学と芸術
童謡「やぎさんゆうびん」の解釈

Glass Story
まど・みちお「やぎさんゆうびん」
誰もが一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。しろやぎさんとくろやぎんのやり取りを歌ったこちらのフレーズ。
しろやぎさんから おてがみついた
くろやぎさんたら よまずにたべた
これは、詩人のまど・みちお(1909〜2014)さんの詩で、童謡として慣れ親しまれている「やぎさんゆうびん」の冒頭です。
ずいぶん昔からあるイメージですが、初版が1981年と割と最近の作品です。以下は、詩の全文になります。
しろやぎさんから おてがみついた
くろやぎさんたら よまずにたべた
しかたがないので おてがみかいた
さっきのてがみの ごようじなあに
くろやぎさんから おてがみついた
しろやぎさんたら よまずにたべた
しかたがないので おてがみかいた
さっきのてがみの ごようじなあに
まず、しろやぎさんの送った手紙をくろやぎさんは読まずに食べます。
読まずに食べて、あっと気づき、しろやぎさんに返事を返します。
さっきのてがみのごようじなあに
その手紙を、今度はしろやぎさんが読まずに食べます。
読まずに食べて、あっと気づき、くろやぎさんに返事を返します。
さっきのてがみのごようじなあに
子供の頃のおぼろげな記憶ですが、この童謡を聴いて、とても滑稽で面白いと感じた印象がありました。それはまるでオモシロ動物映像のような、可愛らしくて笑える、といった感覚。
しかし、大人になって読み返してみると、いくつか疑問がわいてきます。
たとえば、この「手紙のやりとり」は、一体いつ始まって、いつ終わるのでしょうか。
そして、この「手紙のやりとり」には、一体どんな意味が込められているのでしょうか。
そこで今日は、僕自身の考える、「やぎさんゆうびん」の解釈について書いてみたいと思います。
やぎさんゆうびんの解釈
詩の解釈は人それぞれ自由に行うものだと思うので、これはあくまで個人的な意見として参考にしてみて下さい。
僕は、この「やぎさんゆうびん」が指し示すものは、まさに「言葉」のコミュニケーションそのものだと思います。
以下、この「言葉」とやぎさんゆうびんの関連性について、三つのポイントに絞って解説します。
まず、一つ目のポイントが、先ほど触れたように、このやりとりはいつ終わるのかということです。
やりとりの流れを見ていると、おそらく延々と続くことが予想されます(途中でどちらかのやぎさんが痺れを切らして家に「さっきのてがみのごようじなあに!」と訪れないかぎりは)。
そして、「延々と続く」ということは、「延々と続いてきた」ということでもあります。
つまり、これは始まりから終わりに辿り着いてチャンチャンと終わるものではなく、「無限のなかの一瞬を切り取ったもの」だということです。
付け加えると、白と黒のあいだに主従関係があるわけでもありません。
しろやぎさんの手紙を、くろやぎさんが永遠に理解しない、というのではなく、互いに、ぐるぐると往復を繰り返すのです。
二つ目のポイントが、「読まなかったことで続く」という点です。
しろやぎさんの手紙をくろやぎさんが読んで、お返事を返して互いに理解し合ったら、「手紙のやりとり」はそこで終了します。
しかし、二頭は、互いに互いの伝えたかったことが(「読まずに食べた」から)理解できません。
二頭は永遠に理解し合うことができないのです。
ところが、実は、逆説的に、この理解し合うことが叶わないゆえに、相手の理解を求めて繋がりは継続されるのです。
言語的なコミュニケーションも、同じような側面があります。
自分の思っていること、伝えたいことを「言葉」に包んで届けても、うまく伝わらない、理解されない、という不全感が残る。
でも、その不全感ゆえに、「さっきのてがみのごようじなあに」と、互いの繋がりが絶えることがないのです。
最後のポイントが、読まずに「食べた」という点です。
読まずに「捨てた」のでも、読まずに「埋めた」のでもなく、「食べた」、すなわち血肉となった。
これは、ある意味、「読む」以上に「読んだ」と言えるでしょう。
だから、「理解していない」「理解されていない」という届かなさの一方で、実は互いに、その「さっきのてがみのごようじなあに」と書かれた手紙(二頭とも、この内容は知らない)を内面化してもいる。
しろやぎさんも、くろやぎさんも、互いの互いに対する「あなたのことが分かりたい」という想い(興味や愛情)を食べながら、同時に、「分からない」ということを抱えて手紙を送り続けるのです。
まとめ
もう一度、「やぎさんゆうびん」の全文を追いながら、この解釈について要点をまとめたいと思います
しろやぎさんから おてがみついた
くろやぎさんたら よまずにたべた
しかたがないので おてがみかいた
さっきのてがみの ごようじなあに
くろやぎさんから おてがみついた
しろやぎさんたら よまずにたべた
しかたがないので おてがみかいた
さっきのてがみの ごようじなあに
しろやぎさんは、くろやぎさんに「さっきのてがみの ごようじなあに(あなたのことが分かりたい)」と手紙を送る。
くろやぎさんは、その「あなたのことが分かりたい」という手紙を読まずに食べる(無意識に愛情を内面化する)。こうして無意識に、しろやぎさんが自分に愛情を持っていることが分かる。
しかし、一方で頭では手紙の中身が理解できません。(読まずに)食べてしまったから。
くろやぎさんは、その中身が知りたくてしろやぎさんに、「さっきのてがみの ごようじなあに(あなたのことが分かりたい)」と手紙を送る(以下、同じループが続く)。
相手が自分に興味や愛情を抱いていることは感覚として分かりつつも、具体的な中身は把握できない。この把握できないことによって、二頭の関係性は継続する。
言葉のコミュニケーションも、こうした面を内包しています。
この「やぎさんゆうびん」は、このような「言葉」のコミュニケーションを象徴する隠喩になっているのではないか、というのが僕の解釈です。
この解釈は、まどさんの意思とは違うかもしれません。
ただ、以前、まどさんのインタビューをまとめた『いわずにおれない』という本のなかで、「自由に読んでもらってかまわない」とおっしゃっていたことがあったので、その言葉に甘えて、ちょっとだけ自由に解釈をしてみました。
ところで、まどさんは、そのインタビューで、幾度となく、自然界の神秘に触れるたびに、言わずにおれなくなって詩にするのだと言います。
もしかしたら、このまどさんの「いわずにおれない」というのは、やぎさんの「くわずにおれない」と同じことなのかもしれません。
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