文学と芸術
‘ 私と日本語をさげすむかのように ’

Glass Story
これは、先日読んだ詩のアンソロジーに載っていた近藤東の「日本語」という作品の全文です。
私は出来るだけ無関心をよそおったが
気になってしかたがなかった
深夜の電車の中
私の隣に座った緑のオウバアの女は
ひどく酒に酔っていて
ときどき私によりかかった
この女は自分の駅で降りられるだろうか
ついに私は肩で女を起しあげ
やさしく行先をたずねてやった
すると うるさそうにうす目をあけた女は
(ミイ ゴオ ヨコハマよ)
と答え また目をつぶってしまった
私と日本語をさげすむかのように
私と日本語をさげすむかのように
近藤東「日本語」より
この詩は1945年の敗戦直後の世相を反映したもので、緑のオウバア(オーバーコート)を羽織った女は占領軍を相手にした日本人娼婦のこと。
娼婦は、当時「パンパン」と呼ばれ、戦争中の日本では着ることのできなかった赤や緑の原色の服を挑発的に着ていました。彼女らは、米兵に自らの体を売って多くの衣食を得ていました。
日本人男性の立場は、敗戦後一気に転落しました。
あるブログに、この「パンパン」と日本人男性の当時の立場を示す興味深い記事があったので紹介したいと思います。
ブログの著者は、昭和九年生まれ、敗戦当時11歳の少年でした。これは、少年時代の著者が実際に見た光景だと言います。
敗戦後、米兵を求めて、小倉の常磐橋には客引きをする日本人女性たちがずらりと並んでいました。
米兵に連れ添う女性たちには、昨日まで化粧気もなくもんぺ姿で暮らしていた「大和撫子」の面影はどこにもなく、髪を染め、カラフルな爪にドレスを装い、高いヒールを履いて街を闊歩しました。
その頃、常磐橋の両側には靴磨きも大勢並んでおり、靴磨きには、戦災孤児だけでなく戦争で負傷した白衣の旧日本兵もいました。
以下、ブログをそのまま引用します。
常盤橋の両側には、靴磨きが多く並んで客待ちをしていた。中には、戦災孤児と言われた少年もいたが、戦闘帽を目深に被った白衣の傷痍軍人も多くいた。
その中には義手を着けた人もいて、椅子に座って客が片方づつ履いたまま磨き台に載せる靴をかがみ込んで器用に磨いている。
(中略)
客のほとんどは、アメリカ兵や彼らと手を組んで歩くパンパンたちであった。あの白衣の傷痍軍人たちは、昨日まで誇り高き天皇陛下の軍隊として、日の丸の下で、聖戦完遂に命を賭けて鬼畜アメリカ兵と戦っていたに違いない。それが今日はその元敵兵の足元に膝を屈して靴磨きをせねばならないように、一夜にして世の中が変貌してしまった、ということだ。
同時に私は、少年の幼い心情ではあったかも知れないが、そのアメリカ兵が磨き終わり、交替して椅子に座ったパンパンが、その元軍人の鼻先に足に履いたままの真っ赤なハイヒールを突き出して磨かせる光景に、何かしら義憤めいたものを覚えたものである。
(中略)
彼女は、普通では手に入らない洋モク(当時、憧憬を込めて外国のタバコをこう呼んだ)を、チュウインガムを噛みながら紅い唇に咥えてくゆらし、隣のアメリカ兵と何やら片言の英語を交わしながら、時にキャッ、キャッと甲高い笑い声を発している。
その靴磨きは、下を向いたまま、黙々と彼女の靴を磨いている。
なんのドラマだったか、ある日本人男性の恋人が、敗戦後米兵の娼婦となって彼のことを蔑んだような目で見るというシーンがありました。
ある本では、米軍の上層部の人間が、日本人の官僚や政治家の妻に「あれはいい女だから譲れ」と言われ、断ることができなかった、という話も読みました。
この『日本語』という詩は、その惨めさを日常の一コマとして象徴的に描写している作品なのです。
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