からだと自然
香害など「存在しない」という考え方、赤木智弘さんの記事を読んで

Glass Story
香害は「存在しない」?
フリーライターの赤木智弘さんが、「情緒的な問題提起は、解決を遠ざける」という記事で、昨今話題となっている「香害」について、「香害」は情緒的で、科学的根拠に基づいていない、と書いていました。
存在しない、とまでは言わなくとも、科学的根拠がなければ存在しないも同然、という考え方で、これはこれまで「香害」に苦しんできた人が繰り返し突きつけられてきた内容だと思います。
自分も洗濯に柔軟剤は使う。部屋干しをしているが、さほど匂いが強いとは思わない。これで体調が悪くなる人は大変だなと思うと同時に、本当にそんなに体調が悪くなるものなのか。ちょっとした気持ちの変化を被害者ぶって大げさに騒いでるだけじゃないかとも思ってしまう。
赤木さんの主張の一つ目は、「香り」はむしろ昔のほうが強かった。今は匂いもだいぶ収まり、逆にひとつひとつの香りが害のように感じられるようになったのではないか、というものです。
昔は様々な物が匂っていた。自然の花の香りもそうだしトイレもそうだ。当時はまだバキュームカーも珍しくなかったし、車が近くを通れば排気ガスの臭いもした。人ももっと臭った気がする。夕方になれば近所の夕食の匂いがあたりに広がった。
しかし現在はなかなか匂いを感じることはない。排ガス規制の成果か、排気ガスの匂いを感じることは少なくなったし、外まで匂いがする夕食もカレーくらいだ。花の香りはここ数年気づかないが、銀杏の強烈な臭いはさすがに気づく。
特にトイレは臭わなくなった。今や駅の公衆トイレですら強烈なアンモニア臭がするものはまったくない。だからトイレの芳香剤も臭わなくなった。かつてはトイレの芳香剤と言えばキンモクセイの強い香りが主流だった。
昨今の日本では匂いの経験をすることが少なくなり、僅かな匂いでもそれを「異物」として認識し、不快なものと感じるようになったのではないかと憶測はできる。
だが、それはどこまで行っても憶測でしかない。だって僕自身は少なくとも柔軟剤のレベルでは香害というものをほとんど認識できないからだ。
香りの感度は人によって違うので、どれだけ香害に苦しんでいると言っても、苦しんでいない人にとっては届かない。
必要なのは「陳情」のような情緒的なものではなく、「科学的なデータだ」、というのが赤木さんの書いている主張です。
科学的な根拠がなければ「存在しない」というのは、原因不明の疾患の多い現代社会で数多くの人たちが悔しい思いをしてきた言葉であり考え方でしょう。
そして、科学的な根拠がなければ、多くが「精神的な疾患」「気のせい」と診断され、心療内科に大量に患者が集まり、薬を増やしても増やしても治らず、今度は向精神薬(抗うつ薬や精神安定剤)の離脱症状になって「薬がやめられない」のですが、それも科学的な根拠がないから「存在しない」、と言われる。
これはアメリカも同様の風潮にあり、90年代の段階でアメリカ人の10人に1人は向精神薬から抜けられないような状態だったと言います。
また、昨年(2017年)アメリカでも大きな「香害」に似た「事故」がありました。
制服を一新してからの数か月間、AAでは体調不良を訴える従業員が相次いでいる。
ブルームバーグの報道によれば、制服の変更以来、不調を報告したパイロットはおよそ100人、客室乗務員は3000人を超えている。
主な症状は、発疹、かゆみ、目の腫れ、気分の悪さなど。中には出勤できないほど症状が重い人もいる。
この原因について、Forbes Japanの記事には、次のような解説が紹介されています。
衣服がアレルギー反応のような症状を起こすとは、どういうことなのだろうか? アレルギー反応とは基本的に、私たちの体が化学薬品や物質を受け入れられない「侵入者」または脅威として扱うときに起きるもので、何らかの免疫反応を伴う。
問題を起こす物質は、ライクラやスパンデックスなどの合成繊維やデニム生地、ラテックスなど生地そのものの場合もある。たとえごくわずかな量でも、ある物質がアレルギー反応を引き起こすことはあり得る。
また、衣類に使用される化学物質が原因となる可能性もある。しわ防止のために使われるホルムアルデヒドや、通気性や耐水性、難燃性の維持、染み予防などのために使われるものなどだ。洗剤や柔軟剤などに含まれる化学物質も、アレルゲンになる。さらに、ちりや埃、ダニなどの生物も、同様に刺激の原因となる場合がある。
アメリカでも、見て見ぬ振りをしているうちに問題は拡大化(隠し通せない状況)していっているようです。
化学物質の問題は、「情緒」の問題
赤木さんはこの客観的なデータに関する主張に関連してもう一つ、「化学物質」に関することも書いています。
香害の原因が、仮に「匂い」ではなく「化学物質」だとしたら、その科学的な根拠を示すべきだ。科学的な根拠も示さないで「化学物質は悪だ!」と主張しても、それは情緒的に過ぎない、と。
データという点で気になることもある。それは、ニセ科学によくある「化学物質への安直なヘイト」が存在する点だ。記事上で日本消費者連盟の人も「柔軟仕上げ剤や制汗剤、除菌スプレーなどに含まれる人工的に作られた化学物質に対して、身体的な症状が出ることが香害」と定義してしまっている。
しかし、化学物質も自然の物質もどちらも単なる物質に過ぎないにもかかわらず、化学物質にのみ身体が悪い反応をし、自然のものではしないというのは、明らかに科学的ではなく情緒的過ぎる定義である。
こういう「言葉」と、心身の疲弊しているなかで対峙していかなければいけない「香害」に苦しんでいる人たちは本当に可哀想だと思います。
まず、「根本が違う」ということをはっきりさせる必要があると思います。
香害を主張するということはすなわち「科学の限界」を訴えているのです。にも関わらず「科学の限界について科学的に示せ」と言われるから議論が混乱するのです。
科学的な根拠とは、すなわち「Aという物質を吸引したとき、Bという症状が出る」ということを数値で示せ、というものです。
しかし、ここで問題になっている「A」というのは「特定の物質」ではなく、複合的な物質(「あれもこれもどれもそれも」に囲まれている状況そのもの)です。* この複合的な問題については、有吉佐和子さんの『複合汚染』を参照下さい。
症状「B」も、現代病で苦しんでいる人なら想像にたやすいと思いますが、多くの場合、画像やデータで示すことの難しい自律神経系の症状です(精神的な症状も含め、これも複合的に症状が出ます)。
だから、「Aという物質を吸引したとき、Bという症状が出る」ということは、そもそも科学で証明することが極めて難しいことなのです(脳科学者の養老孟司さんは、自然は「ああすればこうなる」という単純なものではない、と言います。「体」も「自然」の一部です)。
そして、現代社会で、この状況を強引にそのシンプルな論理に落とし込めるのが、「精神のせいで、色んな症状が出る」というものなのです(その「精神」を、「薬」で抑える)。
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難しいですね。
情緒的だ、という批判について、「情緒の問題ですよ、むしろ」と正直僕は言いたいです。
もちろん、あらゆることが「科学的根拠」をもとに動かざるをえなくなった(情緒を失った)時代では、それでは物事は簡単に動かないのかもしれませんが、本当は文明論とか自然観とか死生観とか、そういった「情緒」の問題だと僕は思います。
死を間際にして、夕陽や川や風に揺れる花は美しくありませんか? という問題だと僕は思うのです。
私、それを情緒と呼んでいますが、日本人は自然や人の世の情緒の中に住んでいる。そしてそこで時々喜怒哀楽し、意欲するし、理性するだけですね。住んでいるのはむしろ、自然や人の世と云いますが、自然や人の世の情緒の中に住んでるでしょう。
情緒とは私の入れられないもの、感情ではありません。感覚でもありません。例えば秋風がもの悲しい。それから時雨が懐しい、例えば、友と二人いると自ずから心が満たされる。こう云うの皆情緒ですね。
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