こころ
離人症の歴史

Glass Story
離人症とは
離人症とは、自分が遊離したようになり、生きている実感、現実感のない意識状態にあることを指す。
どこかふわふわとした浮遊感にまとわりつかれ、世界に膜がかかって夢のなかにいるような感覚になる。
離人症の原因としては、薬物中毒や向精神薬の離脱症状、過労やストレスなどがあり、またトラウマ(心の傷)によっても引き起こされる。
病院で離人症と診断されなくとも、この感覚を共有するひとも多いのではないだろうか。
遠い世界を生きている。
特に、騒々しく光に満ちた現代社会で、この離人症は増加している。
離人症の歴史
それでは、離人症は一体いつから存在するのだろうか。
離人症の歴史は古く、1884年に記されたアメリカの心理学者ウィリアム・ジェイムズの論文に、「感覚麻痺」の女性が語った内容が紹介されている。
私は、人生を快くしうるさまざまなものに囲まれているというのに、それでも私には喜んだり感じたりする能力が欠けています。
私の感覚のそれぞれ、私の本来の自己の各部が、私から切り離され、もはやどのような感情も抱かせてくれないようです。
この状態は、自分の頭の前部に感じる空白に拠っているようであり、自分の体の全表面における感覚能力の鈍麻のせいのように思えます。なぜなら、私は自分が触れるものに、実際にはけっして手が届いていないように思えるからです。
この時代には、まだ「離人症」という言葉はない。ただ、上記のように離人症ととてもよく似た症状について語られている。
欧米で「離人症」という言葉が登場するようになるのは、20世紀に入ってからのことだ。
ある症状、ある状態に名称がつけられ、カテゴライズされるようになったということは、それだけ離人症と呼ばれる状態を患う人が増えてきたということなのだろう。
オーストリアの精神分析医ポール・シルダーは離人症について次のように記述している。
離人症の人の目には、周りの世界は、異様で、奇妙で、なじみがなく、夢のように映る。物はときおり不思議なほど小さく見え、平たくなることもある。音は遠くから聞こえるように思える。
情動もやはり、著しく変化する。患者たちは、苦痛も快感も経験できないと苦情を言う。
彼らは自分自身に不案内になってしまったのだ。
時代的背景も考えれば、この感覚というのは、当時、哲学や文学、芸術の世界に登場した「実存主義」や「シュルレアリスム」とも関連しているだろう。
実存から遊離した、実存を感じられないゆえに「実存主義」が提唱されたのだろうし、また浮遊した夢の世界を描いたのが「シュルレアリスム」だった。
実存主義の代表的な作家で、ノーベル文学賞を受賞したアルベール・カミュは、『シーシュポスの神話』のなかで次のように書いている。
舞台装置が崩壊することがある。起床、路面電車、会社や工場での4時間、食事、路面電車、4時間の仕事、食事、睡眠、同じリズムで過ぎていく月火水木金土 ━━━━ こういう道を、たいていのときはすらすらとたどっている。
ところがある日、〈なぜ〉という問いが頭をもたげ、驚きに染まったこの倦怠の中ですべてが始まる。
出典 : アルベール・カミュ『シーシュポスの神話』
また、不条理文学の第一人者であるフランツ・カフカも、自身の日記で、離人症的世界にあって、ある種の「自傷行為」のみが現実である、といった状況を生きていたことが伺える文章を書き残している。
すべては幻影だ。家族、事務所、友人たち、街通り、すべて幻影だ。遠くにいようと近くにいようと、女もそうだ。もっとも近い真実は、窓も出口もない独房の壁にお前が頭を押しつけている、ということだけだ(1921.10.21)。
出典 : フランツ・カフカ『フランツ・カフカ全集 第7巻』
こうした離人症が、日本で「増加」してきたと感じるようになる一つの兆候が、小説家の村上春樹の登場(1979年)だ。
村上春樹の、特に初期の作品世界を見ると、彼自身がトラウマ的な離人症世界を浮遊し、書くことによって自分自身を模索している様子が感じとれる(どこかで彼自身「書くこと」は自分にとって「治癒行為」だと過去に語っている)。
この村上作品が爆発的な支持を受けたということは、それだけ潜在的な離人症が多いことを指し示していると僕は思う。
それは、岡崎京子の漫画『リバーズ・エッジ(1994年)』にも同じことが言える。
あの物語では、現実感の不在のなかで、若者たちは川沿いで偶然見つけた遺体を精神安定剤にする。
そして、オウム真理教の登場と、酒鬼薔薇聖斗事件が起こる。
オウム真理教の信者には、「夢と現実の区別がつかないような感覚のひとが多かった」ということが過去にNHKのドキュメンタリー番組のナレーションで語られている。
また、酒鬼薔薇聖斗は事件当時、自らを「透明な存在」と表現している。
この「透明」という言葉を、仲間はずれや孤独という風に捉えると、ことの本質を間違えると僕は思う。
透明とは、この世界から遊離してしまった状態を指していたのではないか。
こうした離人症的な状態というのは、頭で理解しようとしてもできない。
ただ、突然大切な存在を失えば、誰であっても時計の針が止まったまま、この世が嘘のように感じ、ぼんやりと時間の流れるような意識状態になる。
これが離人的な状態であり、慢性的に続く状態を離人症と呼ぶ。
犯罪に向かうかどうかは別(その空虚感を埋めようとすることで、素晴らしい表現者にもなりうる)として、離人症は、現代社会においてますます増加傾向にあると考えられる。
僕は今どこにいるのだ?
僕は受話器を持ったまま顔を上げ、電話ボックスのまわりをぐるぐると見まわしてみた。僕は今どこにいるのだ?
でもそこがどこなのか僕にはわからなかった。見当もつかなかった。いったいここはどこなんだ? 僕の目にうつるのはいずこへともなく歩きすぎていく無数の人々の姿だけだった。
僕はどこでもない場所のまん中から緑を呼びつづけていた。
出典 : 村上春樹『ノルウェイの森』
以上、離人症を歴史のなかに位置づけながら、現代の問題として捉え直してみた。
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