Ibuki | コップのお話

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富士山の初冠雪と初雪化粧の定義と違い

 
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画像 : weathernews.jp

 

縦棒  富士山の初冠雪

山梨の甲府地方気象台が、10月26日、富士山の「初冠雪」を発表しました。

これは平年よりも26日遅く、過去最も遅かった1956年に並ぶ記録だと言います。

ところで、この耳慣れた「初冠雪」という言葉ですが、これは決して「新年度で初めて雪が降った日」のことではありません。

初冠雪とは、対象とする『山の一部が雪等の固形降水により白くなった状態が初めて見えたとき』としており、甲府地方気象台では、富士山・甲斐駒ヶ岳について観測をおこなっています。

出典 : 初冠雪の記録|甲府地方気象台

つまり、観測点である甲府気象台から、富士山を眺めて、「ああ、雪が積もっているなあ」という状態になったら、「初冠雪」なのです。

 

 

縦棒  初冠雪と、初雪、初雪化粧の違い

一方で、「初雪」という言葉もあります。これは文字通り、その冬で最初に降った雪のことですが、真夏であっても氷点下を記録する富士山の場合、初雪と終雪の区別がつきづらい。

山頂は、年間で300日近く雪で覆われています。

そうした事情から、「初雪」の観測よりも、「初冠雪」の方に注目が集まることが多く、今では気象庁による山頂での初雪の観測自体が廃止になりました。

ちなみに、甲府市よりも富士山に近く麓にある富士吉田市では、季節の移り変わりを身近に、という考えから、独自に観測して「初雪化粧」を発表しています。

今年の「初雪化粧」は、9月25日でした。

富士吉田市富士山課によると、午前6時ごろ、山頂付近が冠雪しているのを市職員が確認。24日午後の山頂付近の気温が氷点下になり、一帯で降っていた雨が山頂では雪になったとみている。

出典 : 富士山が「初雪化粧」 富士吉田市が宣言|日本経済新聞

この「初雪化粧」も、どうやらはっきりとした定義はないようです。

富士山課の職員が冠雪を確認し、麓の地方公共団体の「お墨付き」を得て、「初雪化粧」宣言を行うと言います。

要するに、「初冠雪」と「初雪化粧」の違いというのは、観測するポイントが違う、ということなのでしょう。

2016-10-26 | Posted in からだと自然No Comments » 

 

        

村上春樹と文体 − 小説を書こうと思ったきっかけと文体の模索

 
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「村上春樹」のきっかけ

作家の村上春樹さんが小説家としてデビューしたのは30歳の頃でした。

彼がまだジャズ喫茶を経営していた29歳の頃に、閉店後、机に向かって夜な夜な書き上げたのが、デビュー作 風の歌を聴け です(この作品で群像新人文学賞を受賞)。

小説を書こうと思ったきっかけは、これは有名なエピソードですが、ふいに訪れた、と村上さんは言います。

それは「1978年4月のある晴れた日の午後」、プロ野球の開幕戦、明治神宮球場でビールを片手に観戦していたときのことでした。

広島のピッチャーは、高橋。先頭打者はデイブ・ヒルトン。

そのヒルトンが、初球を鮮やかにレフトに弾き返したとき、村上さんは、ふと、「小説を書けるかもしれない」と思ったそうです。

バットがボールに当たる小気味の良い音が、神宮球場に響き渡りました。ぱらぱらとまばらな拍手がまわりから起こりました。

僕はそのときに、何の脈絡もなく何の根拠もなく、ふとこう思ったのです。「そうだ、僕にも小説が書けるかもしれない」と。

『職業としての小説家』村上春樹著

それまで一度も小説を書こうと思ったこともなく、「小説は読むもの」だった青年が、「書こう」と思った瞬間でした。

このデビュー作について、振り返ってみると、「自己治癒」の側面が強かったと彼は言います。それは静かに、心の奥の何かが涙のように溢れ出たのかもしれません。

 

 

「村上春樹」の文体の模索

しかし、「書けるかもしれない」と思ったからと言って、当然ながら、すぐに書き上げることができたわけではありませんでした。

村上さんは、「19世紀のロシア小説やら、英語のペーパーバックやらを読むのに夢中になっていた」ので、日本の現代小説をほとんど読んだことがなかった。

そのため、日本語でどんな風に小説を書けばいいのかよく分からなかった、と言います。

彼は、分からないながら、「小説らしいもの」を書こうと試行錯誤したのですが、納得のいくものができません。

そこで、「小説らしいもの」という既成の枠にとらわれないように、頭に浮かんだことを自由に書いてみよう、と試みます。

その一環として、村上さんが取り組んだのが、押し入れにあった英文のタイプライターを引っ張り出し、決して充分とは言えないライティング能力で、余計な贅肉を落とした、シンプルで無骨な英文によって書き綴ってみる、ということでした。

日本語だと、数え切れないほど沢山の伝えたい中身が、「私も」「私も」と複雑に往来してクラッシュする。

一方、当時の村上さんにとっての英語は、言葉や表現の数に決められた制限がありました。

その限られた言語空間で、最小限の適切な組み合わせを工夫する、ということを通して、彼は自分なりの文章のリズム、文体を探っていったのでした。

「短い文章を組み合わせるリズムの良さ、まわりくどくない率直な言葉づかい、思い入れのない的確な描写」。

そして、英文のタイプライターを片づけると、この飾り立てない、無機質な文章の一章ぶんを、もう一度、がちがちの直訳ではなく自由に、日本語に「翻訳」していきました。

─── するとそこには必然的に、新しい日本語の文体が浮かび上がってきます。それは僕自身の独自の文体でもあります。

僕が自分の手で見つけた文体です。

『職業としての小説家』村上春樹著

このとき出来た作品が、冒頭で触れた、『風の歌を聴け』、です。

こうして、無意識化で眠っていた種子が、よく晴れた春の午後、ヒルトンの二塁打のタイミングで芽吹き、その芽を、丁寧に育み、たった一つの花を咲かせたのでした。

2016-10-11 | Posted in 文学と芸術No Comments » 

 

        

夢の話 〜 追われる夢

 
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デパートの5Fフロアの隅にある休憩室のような空間で、先端の長く尖ったハサミを突きつけられながら、「どちらかを殺せ」と脅迫を受ける。

知らない連中ばかりだった。

僕は、その選択を拒み、隙を伺い、その場所から逃げ出すことに成功した。エスカレーターを駆け下り、街に出て、雑居ビルや古い民家の隙間をかいくぐったり塀や屋根をよじ登って逃げた。追手は三人だった。

ブロック塀を越えた向こうに、ごみ箱があった。

ごみ箱には若いカップルが詰め込まれていた。虚ろな眼差しで空を見つめる少女の瞳と目があった。死んでいるのだと直感的に悟った。

そうなんだ、都会にはこういうことは「よくあること」なんだ、と僕は思いながら、民家の屋根づたいに逃げ、落ち葉の敷き詰められた公園まで走っていった。

公園には、小さなトンネルがあって、僕はそのトンネルにもぐった。風がなく、温もりがあった。もう大丈夫だろう、とほんの少し安堵した。

でも、すぐに追手も入ってきた(すでにそこにいた、と言ったほうがいいかもしれない)。

僕はトンネルの反対側から抜け出し、フェンスを越える。追手の数は増えているようだった。薄白い顔で、明確な意思もなく、ただ「追いかける」ということを宿命づけられた亡霊かゾンビのように思えた。

目の前には高い高いコンクリートの壁が立ちはだかって、公園の外には出られないようになっていた。

僕は指先の皮膚を器用に使って、吸盤のように表面にひっつきながら、ビルに比肩するようなその壁をよじ登っていった。

登りながら僕は、「こんな風になってしまった僕を、旧友たちは受け入れてくれるだろうか」と悲しく思った。

2016-10-10 | Posted in 夢の記録No Comments » 

 

        

発表会や面接、プレゼンのときの緊張を和らげる「おまじない」の方法

 
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縦棒  発表会、面接、プレゼン

子供であれば、習い事のピアノの発表会や部活動の試合、また入試や就職活動の際の面接、企業に入ってからも企画のプレゼン、あるいは愛の告白など、緊張する「発表」の場というのは尽きません。

緊張は、せっかく大事に培ってきた、そのパフォーマンス自体に(多くの場合は)悪影響を与えます。

肩がこわばり、鼓動が高鳴り、膝が震える。

僕自身も、こういう体験を幾度となく繰り返してきました。

緊張し、体が硬くなると、一つのことに意識がフォーカスしていきます。そして、それは大抵、「失敗するかもしれない」というマイナスのイメージに凝縮されていく。

過去に失敗体験があると、その想念はいっそう濃厚に現れるかもしれません。

 

 

縦棒  緊張とおまじない

こうした「発表」直前の緊張を和らげる方法として、昔から、様々な「おまじない」が勧められてきました。

有名なものでは、手のひらに「人」と三回書いて飲み込む、といったものや、観客をかぼちゃだと思え、といったアドバイスがあります。

また、誰かに肩をぽんと叩かれることで、緊張が吹き飛んだ、という経験もあるかもしれません。

なぜ、こういう方法が緊張を和らげることに繋がるのかと言うと、それは「ファンタジー小説」と同じように、一瞬だけ、異世界に移動することができるからです。

物語は、今、自分が直面しているもの ─── 窮屈な教室の空気や閉塞感の漂った職場、社会、将来設計 ─── からマインドを引き離し、一時的に別の空間を与えてくれます。

その結果、絶対的だったものを、(場合によっては「取るに足らないもの」として)相対化してくれる。

良質な作品の場合には、戻ってきたときに世界が変わって見える、ということもあるでしょう。

手のひらに「人」と書いて飲み込んだり、世界をかぼちゃだと思ったり、肩をぽんと叩いたり、あるいは、ふいに零れる笑いというのも、目の前の世界に固執した意識を、いったん異世界に運び、相対化してくれる「ファンタジー」なのです。

 

 

縦棒  おまじない的整体法

最後にひとつ、僕自身がお勧めする、整体師の先生から学んだ簡単な「おまじない」を紹介したいと思います。

冒頭で述べたように、緊張しているときというのは僕たちの体は硬直しています。肩肘が張って、胸が縮こまり、窮屈な部屋に押し込められた横隔膜は、深く呼吸することもできません。

特に、緊張の度合いが強いときは、ちょうど胸の真ん中にある壇中だんちゅうというツボが硬くなります。

このツボは、ものごとのセンサーとして働き、ざわざわと胸騒ぎがしたり、恋に胸がきゅうっと締めつけられたり、悲しい事件に「胸が痛む」ときに反応している点です(「胸に手を当てて考える」という慣用句もありますね)。

この箇所が硬くなっていると、余計に敏感にストレスに反応して、様々な緊張の「症状」も現れるのです。

そこで、この壇中だんちゅうの辺りを緩めるためのシンプルな「おまじない」。

優しく腕を組むようにして、互いの肘にそっと触れるような格好をとってみて下さい。

これだけで大丈夫。どうでしょうか。この姿勢をとっていると、こわばって窮屈だった肩や胸が、深い呼吸とともに、すとんと落ちる(抜ける)のが実感できるのではないでしょうか。

もしよかったら、発表会や面接、大事なプレゼンの際に、おまじないような感覚で「肘を触れる」というのを試してみて下さい。

 

村上春樹、河合隼雄に会いにいく (新潮文庫)

村上春樹、河合隼雄に会いにいく / 河合隼雄、村上春樹

 

ユルかしこい身体になる 整体でわかる情報ストレスに負けないカラダとココロのメカニズム

ユルかしこい身体になる 整体でわかる情報ストレスに負けないカラダとココロのメカニズム / 片山洋次郎

2016-10-07 | Posted in こころNo Comments » 

 

        

素敵な「出会い」と出会えるために20代前半の女性にとって大切なこと

 
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縦棒  20代前半の女性にとって大切なこと

こないだTwitterで、女性にとって20代前半という時間はとても大切で、その時間をどんな風に過ごすか、ということに関する言葉が回ってきました。

女の子の20代前半の時間って、男のそれより何百倍も大事なの。この大事な時期に、周りに流されて遊ぶんじゃなくて、なるべく自分がステキと思う人と時間を過ごし、美しいものに触れて感動し、勉学に励み、美容と健康を保つ毎日を積み重ねることによって、本当の美しさの下準備が整うの。忘れないで。

出典 : https://twitter.com/JayRedjeans

シンプルですが、これは本当にその通りだな、と思います。

素敵だなと思う人たちと過ごすこと。美しいなと思うもの(映画や絵画、本、自然の風景)にたくさん触れて、自分が本当はどんなことを「美しい」「悲しい」「面白い」と感じるのか、その感受性をもう一度丁寧に縁取っていくこと。学ぶこと。言葉を手にすること。美容と健康のための習慣や積み重ねを大切にすること。

もちろんこれは20代前半に限ったことでもなければ、女性に限ったことでもありません。

ただ、良くも悪くも、女性の方が、人間関係や情報によって影響を受けやすく、色んなものを柔軟に吸収し、変化していく。

そして、20代前半というのは、学生から社会人へ、あるいは子供から大人へ、と社会的な立ち位置や周囲の目線、使えるお金の額も変わる。世界が大幅に変わる。

だから、それ以降の人生にとって、(一気に変化が起こりかねない)とても大切な時期になるのです。

 

 

縦棒  素敵な出会い

だからと言って、過剰にストイックになることもありません。心地の良い範囲で取り組んでいけば、その「範囲」も自然と広がっていくでしょう。

また、一つ一つのことと丁寧に向き合っていれば、それは素敵な「出会い」に繋がり、その「出会い」がまた自分自身を成熟させていく。

良い「出会い」がないと嘆くのは、まず「出会い」を求めるからではないでしょうか。そうすると、空振り、空回りすることも多くなる。

一方で、この「下準備」に目を向けると、結果的に、良い「出会い」に恵まれる。

たとえ出会いの数自体が決して多くはなかったとしても ─── 整った土壌では、あえて植物に肥料を与えなくても根を伸ばして大地から数少ない栄養をしっかりと吸収して、立派な果実を実らせるように。

ものごとはいつも結果的なのです。

 

漫画家の羽海野チカさんは、学生時代には上手に喋れず、友だちもいなかったと言います。そして、そのときの憧れを形にした『ハチミツとクローバー』によって、友だちができた。

ハチクロはお友達を持った事の無い人間が妄執のような憧れだけで描き続けた「お友達のいる世界」の物語だったのですが、描き上げた頃には沢山の共同作業や沢山の人との打ち合せを経て、本当に人と話せるようになっていて、なんとお友達までができていたのが人生の素晴らしい所だと、心からおもいます。

出典 : https://twitter.com/CHICAUMINO/

目の前に広がっているのは、「問題」ではなく「結果」です。ものごとはいつも「結果的」なんです。

そして、そのことを忘れないかぎり、失敗しても、何度だってやり直すことができる。僕はそう思います。
 

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画像 : 『3月のライオン 11巻』羽海野チカ著

 

2016-10-05 | Posted in からだと自然No Comments »