ひとりごと
絶食は医師・断食は意志/断食の効用と科学的な検証と文学的な表象
ときどき「食べない」ということは、とても大切なことだとぼくは思います。
先日、こんな記事が出ていました。
「断食の間に、体は、損傷し老化して不要となった細胞から解放されます。(……)断食は、文字どおり新しい免疫系を作り出すのです」
「数日間食事を控えることが人体に害を与えるという証拠は何もありません。その一方で、特筆すべき恩恵をもたらすという強力な確証が存在します」
たしかに体験的にも、いちばん思考や症状が軽くなるのは食べなかったあとですし、動物だって身体が弱ればなんにも食べようとしなくなる。あるいは冬眠のあいだ、じっくりと内臓を休ませる。
食後、消化をしているときには、あまり頭が働かないように、身体は同時に色んなことができません。
できてるように見えても、見えないところで質が落ちたり、負担が増加してる。
だから、「食べない」ということは、休むことなく働きつづける(とんだブラック企業です)内臓の休養や、壊れた細胞の修復、腸内環境のリセットなどに集中できるようになる、と言えるのです。
ところが、どうしても医学や栄養学の観点からは批判されることも多い(検証もほとんど行われず、「ありえない」と感情的な拒絶反応すら示す)。
それは単純な足し算で考えるからだとぼくは思います。
それぞれの食べものに記号や数字を当てはめて、まるで栄養としての価値は判明してる「それだけ」と言わんばかりに組み合わせる(この考え方は究極的には「最強のサプリメント : soylent」を飲めばいい、に繋がると思う)。
「自然」はそういうものではないと思うんです。だって実際に昔の人たちも動物も、ビタミンを知らずに元気に生きてきたのですから。
江戸時代から明治にかけて、一般人が白米を食べるようになってから脚気が増えて、大量の死者を出したのですが、それは実は、その後に発見されたビタミンB1の不足が原因だったそうです。
でも、もともと玄米を食べていたときには、玄米にビタミンB1が含まれていたので発症しなかった。
それに、そもそも「ビタミンB1を発見した」と言っても、自然界に昔から存在していたのを、こちらが勝手に区分けして名づけてるだけなんですよね(一本の管である内臓を、胃、十二指腸、肝臓、小腸、横行結腸、下行結腸と分類するように)。
また『無病法』という本には、ルネサンス時代に、40代で重病を抱え、それから医師に勧められて、「極めて少食」にするようにしてから、病気は一気に完治し、思考も冴え、大きな仕事をいくつもこなし、102歳まで生きた老人の講演が記されています。
これはNHKで放送された、ロシアの病院で行われてる絶食療法に関するフランスのドキュメンタリーです。
もともと1950年代に、モスクワのある精神病の患者が、食事を拒絶して、そのまま様子を見ていたら、たちまち元気になり、「新しい人生」をはじめたことから、統合失調症、うつ病、恐怖症、強迫性障害など精神疾患に対して取り入れられるようになり、それ以降、精神疾患だけではなく、アレルギーや喘息、リウマチや関節炎、内臓疾患、その他、様々な病気に効果を発揮したそうです。
1995年からはロシアの温泉地でも保険適用のもと断食療法が行われてる。
「絶食療法が注目を集めれば、現在、ヘルスケア市場をほぼ独占している医薬品の売り上げが減ることとなります。製薬業界の抵抗は必至です」それでも、ドイツでは公的療法の一環として根付きつつあるという。
日本にも、病院で断食が可能なところもあるのですが、しかし、まだ渡辺医院や松井病院の食養内科など一部で、保険も適用されません。
断食と言わないまでも、もっともっと自然に敬意を持った医療が、ここ東洋の大国で行われるといいな、とぼくは思っています。
断食をすると、心身がもっとも「自然」な状態に近づきます。
人類の生まれた原初の状態に近づく感覚を抱く。古今東西の宗教が、大昔から断食を行っている理由も、何度か体験してみて、とても納得のいくことだな、と思いました。
「絶食は、危険なものではなく、地球に生命が誕生した頃から存在する適応の一形態」であるのですから。
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→奈良•生駒山、自然の豊かさと、断食体験の日々 Ⅰ 〜出発の道中〜



