感受性と論理的思考|なぜ、女性は浮気を敏感に察知するのか | コップのお話

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感受性と論理的思考|なぜ、女性は浮気を敏感に察知するのか

     
Glass Story

よく女性は「浮気に敏感である」と言われる。

なぜかと言うと、女性は、「違和感を察知する能力」、すなわち感受性に長けている、というのが、その理由だと僕は思う。

長けている、あるいは、殺されていない、と言った方が精確かもしれない。
 

感受性とは、心のことだけではなく、匂いや色、表情、目には見えない様々なものを察知、統合した情報から、「あれ?」という違和感を自覚する能力のことだ。

平たく言えば、感性とは、「なんかほかと違うぞ」って変化がわかることと言っていいんじゃないだろうか。

養老孟司×宮崎駿「虫眼とアニ眼」より

それは、船乗りが、自然の微細な変化から、嵐を予見するようなものだろう。
 

たとえば、自分の作ったものを誰かしら女性に見せる。

そうすると、「この辺が嫌だな、なんとなく」としどろもどろに指摘を受けることがある。

僕は、「どう嫌なのか、どう直せばいいと思うか」と論理的な解答を求める。でも、彼女は首をかしげる。

ただ、「なんとなく、ここが変だ」と違和感を抱くだけなのだ。
 
その指摘に、もちろん最初は納得がいかない。あげ足取りか、とさえ思う。

ところが、いったん冷静になって、そのポイントに意識を集中させると、確かに、その箇所に問題があると気づくのだ。
 

一方、男性に見てもらっても、「ここが、なんとなく嫌だ」といった意見は、ほとんどない。

彼らは、ちゃんと理由を言わなければいけない、恥をかきたくない、と強迫観念的に思っている。だから、逆に当たり障りのない指摘になることも多い。

その理由は、恐らく男性社会にあるのだと思う。

男性社会とは、物心ついたときから、「隙を見せたら負け」の社会である。

面白くないことを言ったら叩かれる。意味のないことを言ったら叩かれる。「だから、何?」の社会なのだ。
 

その本質は、大人になっても変わらない。

エビデンスは? ニュースソースは? それは金になるのか?

男性は、常に社会から意味を求められる。だからこそ、意味付けの能力は長けている。

男性は、幼少期から、「意味」を求められる冷たい眼差しのなかで、ずっと生き残りをかけて闘ってきたのだ。
 

ただ、その代わり、失われる能力も存在する。

男は、感受性が鈍る。体や心の声を聞けない(だから寿命も短いのではないか)。

意味で固めた、頭でっかちな男は、「ここが変だ」という違和感を、あれこれと論理で覆い隠そうとする。
 

それが、冒頭で「殺されていない」と書いた理由である。

男性は、その競争社会、論理中心の世界において、意味の分からない違和感を察知する能力を犠牲にしてしまっているのだ。

だからこそ、彼らは、そういう違和感に対して、簡単に「気のせいだろ」と笑う。
 

一方で、女性は、その感受性が、子どもの頃にはみんなが持っていた感性が、割と手付かずのまま残されている。

赤ん坊は、わんわんと泣く。あれは「違和感」を察知しているのだろうと思う。

たとえ「違和感」は察知できても、言葉を知らないし、論理的に、「どこがおかしく、どう改善すれば、その違和感が消えるか」が分からないから、泣く以外にないのだ。
 

それは、「ここが嫌だ、なんとなく」と言う女性も、近いと思う。

赤ん坊に近いと書くと、「差別だ」「蔑視だ」と思われるかもしれない。

でも、それを蔑視だと考える価値観自体が、差別の根幹ではないかと思ったりもする。
 
赤ん坊の感性は「下」だろうか。自然の感性は「下」だろうか。それは目に見えないからだろうか。金にならないからだろうか。馬鹿にされるからだろうか。

感情的な、ヒステリックで、不安を乱雑にぶつける。子どものように泣きわめく。それは決して褒められたものではない。

だからといって、論理的に、「違和感」を無視して、あざ笑って、「気のせい」にしてきた結果、一体どれだけの人間が殺されてきたことだろう。

要するに、どちらも大事だ、ということである。
 
 

冒頭の疑問に戻る。

なぜ、女性は浮気を敏感に察知するのか。

それは「違和感」を察知する感受性が生きている、豊かである、ということだ。

そして、その「違和感」を、すぐに「浮気」に結びつけるのは、恐らく、普段から、そういう不安を抱えていたり、過去にトラウマを持っているからではないかと、僕は思う。
  

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2014-06-23 | Posted in こころ