文学と芸術
モダニズムは呪われた夢|宮崎監督自身の言葉と、『風立ちぬ』「生きねば。」の意味
Glass Story
スタジオジブリの宮崎駿監督の数少ないインタビューを掲載した、『続・風の帰る場所』という本がある。
これは主に『崖の上のポニョ』から、引退作『風立ちぬ』までの5年間のあいだに、雑誌CUTで行われたインタビューを一つにまとめたものだ。
インタビューの質問をするのは、渋谷陽一さんという雑誌社ロッキング・オン(『CUT』『H』『ROCKIN’ON JAPAN』など発行)の社長さん。
彼は、ジブリの鈴木敏夫プロデューサーのインタビューをまとめた『風に吹かれて』でも、ぐいぐいと(ときに暴走気味に)突っ込んでいくスタイルが印象的だった。
そういったこともあって、内容はもちろん、やり取り自体が刺激に満ちたものになっている。
この本を参考に、『風立ちぬ』と、そのキャッチコピーである「生きねば。」や「美しくも呪われた夢」という言葉の意味について考えてみたいと思う。
僕は、劇場で一度、DVDで一度、この作品を観た。
なぜ『風立ちぬ』がこんなに静かに沁みるかと考えたら、それは宮崎監督が自分自身のことを描いているからだと僕は思う。
監督は、零戦賛美の作品をプロパガンダだと批判している。
しかし、語弊を恐れずに言えば、これまでの宮崎監督の作品も、自然賛美という名目の、一つのプロパガンダと言えるのではないかと思うのだ。
監督自身には、「子どもたちのために」ファンタジーを作るのだから、そこに「自分」があってはいけないという信念がある。
ただ一方で、戦争賛美、零戦賛美のような作品も、ある意味ではファンタジーを「子どものような大人たちのために」描いたものであると言えるのではないだろうか。
プロパガンダとは、大人のためのファンタジーである。
そして双方ともに共通するのは、「作品」のコアの部分に、地に足のついた「自分」がいない。
でも、この『風立ちぬ』には、宮崎監督”自身”の苦悩が滲み出ていた。だからこそ自身の作品で涙がこぼれたのだろう。
これは鈴木プロデューサーの狙い通りなのだと思う。
戦闘機が大好きで、戦争が大嫌い。その人が戦争を題材に戦闘機を題材に映画をつくったら、どんな映画をつくるだろうって。これはやっぱり見せものとして面白いですよ。だから、それは見たかったんですよ。
___『風に吹かれて』鈴木敏夫、渋谷陽一著
宮崎監督の父親は、戦前に軍需工場の下請けとして、零戦の一部を作っていた。
つまり、戦争のための片棒を担いでいた。そのことで監督は、ずいぶんと父親を非難したこともあったと言う。
僕は思春期の頃、親父と戦争協力者じゃないかってもめた経験があるんですけど。そうやって断罪していくと、ほとんどの人が戦争協力者だと言わざるをえない。
___『続・風の帰る場所』宮崎駿、渋谷陽一著
でも、その父親のおかげで、子供の頃に不自由のない生活を送れたことも事実である。
その父親に対する矛盾した感情を、宮崎さんは、ただ純粋に「美しい飛行機を作りたい」と夢見て、最後は特攻隊として使用される零戦を設計した堀越二郎にも重ね合わせる。
そして、次第に混在し、混乱していく。
戦闘機が好きで、零戦が好きで、でも、戦争は憎しみに近いほど大嫌いだという矛盾。それは、そのまま今のアニメーターとしての自分自身にも重なっていく。
監督は、トトロを作ったとき、ある母親に、「うちの子はトトロが大好きで、家でトトロばかり観てるんですよ」と言われた。
そのとき監督は、現代に生きる作家としての業を突きつけられることとなった。
僕らがトトロを作った時に、そんな意思はなくても、結果的にはビデオを売らざるをえないとか。子どもがビデオを100回も観ましたとか、セリフ全部覚えてますとかね、そういうことはもっとも僕が嫌だったことで。アニメーションなんか、子供時代に一回観りゃいいぐらいのもんであって。
(……)それはただの人生の消費であってね。それに加担するということは、実は、戦争に加担してるのと同じぐらい、今のくだらない世の中にくだらなさを増やしてることなんですよ。
前出『続・風の帰る場所』
要するに、映画を作ることは、世界を壊れた方向に導く、大衆消費社会や経済戦争に加担することなのである。
それでも、自分たちは、「美しいものを作りたかった」と言って戦闘機を作った堀越二郎と同様に、ただ目の前のことと向き合い、作る以外に道はない。
罪を背負いながら、誰かを傷つけながら、生きていく以外にないのだ、と。
生きねば。
彼は、モダニズムとは呪われた夢だ、と語っている。
モダニズム、すなわち近代社会では、美しさを求めた結果、世界を破滅に導く運命にあるのだ。
続・風の帰る場所―映画監督・宮崎駿はいかに始まり、いかに幕を引いたのか




