コップのお話

    Ⅰ

これは熱心な医師の書く「医学のお話」ではありません。

熱心な患者の書く「コップのお話」です。

    Ⅱ

ぼくは、これまでに色んな病院に通い、起立性調節障害、うつ病、化学物質や電磁波の過敏症、アレルギー、低血糖症、筋・筋膜性疼痛症候群など、それだけで頭がふらふらするような、様々な病名を与えられてきました。

そして、そのあいだ、どれだけ医師の声に耳を傾けても、それぞれの病名を調べても、薬の説明を読んでも、どうしても違和感をぬぐい去ることができませんでした(副作用や離脱症状に苦しんだこともあり、治癒もしませんでした)。

 

たとえば、「痛み」は身体からの悲鳴であり、SOSの声だと思うんです。「痛み」が激しくなれば激しくなるほど、身体は「このままじゃだめだよ」と叫んでる。

それにも関わらず、そこに「痛み止め」を打ち、「治った」と言ってしまうのは、泣きじゃくる子どもの口を塞ぐために分厚いマスクを被せて、「いい子だ」と言ってるようなものなのではないでしょうか。

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その後、漢方や整体、鍼灸、気功といった東洋医学から、ヨガやカイロプラクティック、断食といったものまで多様な代替医療も試しました。

そこで色々と話を伺い、また自分でも調べているうちに、「コップのお話」を思いついたんです。

    Ⅲ

世の中には、びっくりするほど多くの病名があります。

でも、ちょっと病状を見比べてみると、そのほとんどが同じように「原因不明」で、「症状の現れる場所」の違い(微妙な差異も含めて)によって名前を使い分けてるだけなんだということに気が付きます。

そして、そんなとき医者の言う常套句は、「ストレスですね」。

たとえば、こんなことを言われることがあると思います。「原因はストレスでしょうが、過敏性腸症候群では死ぬことはありませんから安心してください」

「ちょっと待ってくれ、これでは死ぬことがなくても生き地獄ですよ」もちろんそんなことは言えません。

「なるほど」と頷いてみせます。

でも、癌の原因もストレスです。過敏性腸症候群の原因もストレスです。ということは、簡単な数式によって、やがて腸に癌ができるということが分かります。

これは、明らかに腸からのSOSではないでしょうか。

    Ⅳ

本題です。

「(あらゆる)ストレスに対して、身体が疲弊し、過敏になってる」

多くの病気が、簡単に言ってしまえば、そういうことなのだと思うのです。

アレルギーにしても、色々な免疫疾患や過敏症にしても、突然「キレる」若者にしても。皮膚や腸に発症する人もいれば、精神(神経)症状として、うつやヒステリックという形で現れる人もいる。

遺伝や環境によって、弱ってるところに出るのです。

 

放射線障害にも、個人差があります。

甲状腺に溜まり、放射線のストレスを浴びつづければ、甲状腺機能障害が現れ、やがて癌になる。

チェルノブイリ原発事故の影響は、癌だけではないそうです。

「癌の増加だけではなく、原因不明の頭痛や腹痛に苦しむ若者が多い」

日本も、これから、そんな状態になるだろうと危惧されていますが、むしろ、すでにそのような状態になってはいないでしょうか。

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アレルギーや花粉症も、昔はほとんどありませんでした。食物アレルギーという概念が提唱されたのは1970年前後で、以降、劇的に増加しています。

戦前に生まれた祖母は、「幼い頃から杉の近くで遊んでいたけど、花粉症になったことは一度もない」と言っていました。

 

ちょっと難しい言葉ですが、放射線障害は、閾値(しきいちが重要だと言われています。閾値とは、ある一定の量を越えた瞬間に症状が現れる、というものです。

花粉症も、それまで平気だったのに、今年になって突然発症する、ということも多いと思います。アレルギーにも、閾値という概念が用いられます。

    Ⅴ

そこで、ぼくは、人間の身体は、ひとつのコップだと考えるようになりました。

生まれた直後、というよりも、生まれる前から、コップに液体が注がれる

ここで生まれる前と書いたのは、たとえば、母胎の環境として母親の骨盤の歪みが影響したり(部屋が歪んでいたら落ち着かないように)、両親の食べたものの影響を受け継いでいるからです。

 

そして、この液体の名前が、ストレス、なのです。

でも、よく勘違いされる、というか、ある種のメディア•コントロールなのかもしれませんが、ストレスは、「精神的なストレス」だけではありません。

身体にとっては、「精神的なストレス」も、「肉体的なストレス」も、同じように「負荷」なんです。

まったく精神的に傷を負っていなくても、スマホばかり見ていたら、それは多大なストレスなんです。添加物のふんだんに使われたスナック菓子ばかり食べていたら、ストレスは相当なものです。

その都度、コップに液体は注がれているんです(テレビで、もしそんなことを大々的に言っていたら、スポンサーもつきませんし、日本の経済もまわらなくなるので言わないだけでしょう)。

 

もちろん、悪口も。幼少期から、悪口ばかり浴びせかけられていたら、どうなるでしょう。

たぶん、少しだけ意地の悪い言葉であっても過剰に反応するようになったり(過敏症)、いいことを言われても悪口に受け取ってしまう(アレルギー症状)ようになると思うんです。

それは、コップから液体が溢れ出してしまってる状態なんです。溢れ出しても、引き続き、四方八方から液体が注がれつづける。

その溢れ出してる縁の場所によって、症状の出るところが決まってるのだと理解してもらって構いません。

コップ(器)の大きさは、人それぞれです。でも、後天的に広く、深くすることも可能だとぼくは思っています。そして、そのコップの中身を下水道に流してしまうこともできる。デトックスです。

 

結局、ぼくたちが自分の身体にできることは、次の三つだと思うんです。

 

①コップの液体を捨てる。

②注がれる液体を減らす。

③コップを大きくする。

 

そして、そのためには、たった一つの解決法というよりも、たとえば鍼灸だったり、ヨガや瞑想、週末のジュース断食など、症状や生活スタイル、自分の哲学に合わせて自由に組み合わせをすればいいと、ぼくは考えています。

あるいは携帯の使用をちょっと控えるのも大事ですし、玄米菜食を取り入れるのもいいと思います。

だから、なんだか不調が続くな、と思ったら、週末に、自然の豊かな環境で、新鮮な空気を吸い、新鮮な水を飲んで、ネットを使わず、ぷち断食をして、いっさい何も考えない時間を取る(注がれる液体を減らし、溜まった液体を捨てる)。整体やマッサージを受ける(コップを大きくする)、といったことをして体調の変化を見てみてはいかがでしょうか。

少なくとも言えるのは、現代は、もう昔のように、「好きなものを食べて、好きなだけ酒をのむ」ことが健康の秘訣なのではなく、自衛をしていかなければいけない時代になってしまった、ということです。

 

100年近く前に出版された、ある民間療法の本に、「病気は治せない」という趣旨のことが書かれていました。

つまり、病気の症状と言われるものは、発熱にしても、発疹や下痢、嘔吐にしても、どれも毒素を外に排出しようとする働きであり、それは病気というワルモノではなく、自然が身体に備えた治療法なのです。

すなわち、「症状即療法である」、と書かれていました。

だから、ぼくたちは、その療法を、薬で押し殺そうとするのではなく、手助けするようにしなければいけないのです。

    Ⅵ

不思議なもので、涙を流すのもストレスによいと言われています。

それこそ、満ち満ちたコップからついに溢れるように、涙は突然こぼれ落ちます。

そのとき、「これは病気だ」「弱さの現れだ」と、薬や叱咤で涙を止めるでしょうか。

むしろ、「もっと泣いていいんだよ。目一杯に泣いたらいい」と言ってあげたほうがいいんじゃないでしょうか。

人間の身体というのは、心も身体も密接に繋がっています(むしろ、別々ではないと言ってもいいかもしれません)。

そして、それは小難しく、つまらない科学などではなく、ぼくたちの体内に宿る、汲み尽くすことのできない自然の神秘なのではないでしょうか。

 

以上、「コップのお話」でした。

長く、拙い文章ですが、読んでいただきありがとうございます。ぜひ、目を休めて、蒸しタオルで首の裏を温めてくださいね。

    Ⅶ

現代に多いのは、アレルギーや様々な過敏症、免疫疾患、精神疾患、そして癌です。

ちなみに、アレルギー」「過敏症」は、他者に対する過剰防衛です。もともと、花粉も、牛乳も、そんなに悪いやつではありません。

また、免疫疾患」は、自分で自分を敵と認識して攻撃してしまうものです。

「精神疾患」も、他者に攻撃性が向くこともあれば、自分自身に向くこともあります。

どれもこれも、みんな「悲鳴」です。身体が、心が、子どものように泣きじゃくっているのです。

これは、個人や家族でできることもあれば、社会として向き合わなければいけない問題でもあります。

 

この国では、携帯の電磁波やブルーライト、添加物、残留農薬、それにPM2.5や放射性物質など、「直ちに影響はない」と言われるものばかりです。周囲を、小さな、「癌の可能性を0.5%くらい上げる」ものに包囲されてる。

そう、注がれる液体ばかりなんです(そして、それは日進月歩で増えてゆきます)。

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でも、もちろん誰も責任は取り(れ)ません。

癌の原因は、ストレスという鬱蒼とした薮の中だからです。「明確な因果関係が認められない」それでおしまいです。

でも、この複雑な世界で、明確な因果関係が認められることが、一体どれほどあるでしょうか(なぜ、あなたはこのサイトを訪れたのですか?)。

増える病名も、対応しきれない医学も、ドクターショッピングも、猟奇的な事件も、過労死も、ひきこもりも、自殺も、もっとも身近な「自然」の泣き声であり、悲鳴であり、SOSなんです。

ぼくたちは、これ以上、対症療法によって口をふさぎ、目を逸らしつづけているだけではいけないと思うんです。

 

子どもたちの生きゆく世界が、少しでも優しい世界であるように、現代病に苦しむ一患者として、心から願っております。

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