文学と芸術
作家・村上春樹と健康|食事、運動、睡眠という「まともな」生活と効率化
Glass Story
作家や芸術家は、一般的に大酒飲みであったり、女遊びに明け暮れる奔放なイメージがあると思います。
たとえば、詩人・中原中也のように若くして病死したり、何度も心中を試みた太宰治のような、振れ幅の大きい性格を思い描くのではないでしょうか。
一方、村上春樹さんは、そうしたイメージに抗うように、食事や運動、睡眠など、とても「健康」を大事にしています。
彼の生活は規則正しく、夜は9時頃に寝て、朝は夜明け前には起きると言います。
酒量も少なく、ランニングや泳ぐことを習慣にしており、仕事は午前中を中心にして、30分くらいの昼寝をはさむ。
走ることに関しては、一冊の本を書き上げるほどの熱意と哲学を持っています。
まだ作家になる以前の20代の頃は、ジャズ喫茶を経営していたこともあって生活は不規則でした。
ところが、小説家としてデビューした30歳を過ぎた頃に、がらりと変わったのだと言います。
普段の食事の中身については、読者の質問に応じる形で具体的に次のように答えています。
うちはとにかく野菜と魚が中心です。とくに野菜をたくさん食べます。たまに肉を食べます。ご飯は酵素玄米を食べています。調味料はできるだけ自然素材を使っています。そして腹七分目くらいを量の目安にしています。寝る前の三時間には何も食べないように心がけています。
出典 : 村上さんのところ
このような「健康」に対する意識は、作品でもしばしば登場する「まともな食事」のような言葉にも現れています。
「ちゃんと御飯は食べてる?」と僕は聞いてみた。
「食べてるわよ、何だと思ってるのよ? 食べなきゃ死んじゃうでしょう?」
「”ちゃんとしたもの”を食べてるかって訊いてるんだよ」
ユキは咳払いした。「ケンタッキー・フライドチキンやらマクドナルドやらデイリー・クイーンやら、そういうの。あとはホカホカ弁当」
ジャンクフード。
「五時に迎えに行くよ」と僕は言った。「何かまともなものを食べに行こう。それは食生活としてはあまりにもひどすぎる」
___『ダンス・ダンス・ダンス』村上春樹著
彼は、「健康」というのは、作家として自らの「闇」に触れるときに不可欠なものだと、ことあるごとに主張します。
身体的な健康を備えていなければ、奥深くの「闇」に触れようと思ったとき、反対に乗っ取られる危険性がある。
ここで言う「健康」とは、決して検査の基準値や肉体美のことではありません。
あるいは、「予防医学」と称して、人間ドックを推奨し、「早期発見、早期手術」を実施することでもありません。
それは、まともな生活を送り、まともな食事をすること。
まともな生活とは、「人類」の身の丈に合った暮らしをすること、と言ってもいいかもしれません。
かつて村上春樹さんは、原発事故後に受賞した、カタルーニャ賞の授賞式の際、スピーチで「効率化」を批判しました。
原子力発電所は、「効率化」の帰結として生み出されたもので、その事故も、「効率化」の過度な追求が遠因となっています。
現代社会は、あらゆる「効率化」で溢れています。
ジャンクフード、ファーストフードは、その代表例と言えるでしょう。
家畜や野菜の機械的な育成や製造過程、マニュアル型接客や回転率、派遣雇用、あらゆることを「効率化」して、コストカットを図っていく。
消費者もまた、短時間で食事を「済ませられる」という、効率的な手法を採用する。
そうした双方の「効率化」の交わる場所が、〈ファーストフード〉なのです。
効率的なことは、確かに便利な側面はあります。
しかし、そのために、気づかぬうちに僕たちは人類の身の丈から遠くかけ離れた生活を送らざるを得ません。
それは、次第に、心身ともに極めて不自然で不健康な状態に僕たちを追いやっていくでしょう。
もしかしたら、彼は、作品だけでなく、このような自身の生活スタイルによっても、目映い光に満ち、背後で闇の増幅していく、この「不健康」な世界と時代の潮流に、ほんの少しでも抗いたいと思っているのかもしれません。
効率化とは縁遠い、物語というものを携えて。
夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2011 (文春文庫)





