社会とビジネス
一都民の声|新国立競技場の新しいデザイン案に、一国民、一都民として期待すること
Glass Story
たとえば、好きな同級生の女の子に純粋に真面目に接してきたのに、チャラい男の先輩が酒の勢いであっという間に奪っていく。
そんなことが何度か続いて、どうせ女はそういう手法でいいんだろと思い、自分も試してみたら成功した。
それからは、その手をひたすら繰り返した。
過去の傷をえぐるように、何度も何度も繰り返した。
投票率の低い年末のタイミングを見計らって、「消費税の増税をいったん延期すること」を争点に解散総選挙をする。
国民や学者の反対を押し切って安保法案を強行に採決し、その直後に「一ヶ月前から考えていた」と言う予算の膨れ上がった新国立競技場の建設案の白紙撤回を宣言する。
政府の、この分かり易く、ほとんどサディスティックと言ってもいいほどの国民を舐めきった対応には、そういう悲しみさえ感じられる。
余裕のある悪ではなく、トラウマを何度も傷つけることで安心感を得るような。
これだけ舐めても平気なんだろ、これだけ軽んじても平気なんだろ。
これだけ壊しても、お前らはどうせ、と思っているような、卑屈で悲しげな笑みを浮かべている。
マゾもサドも、本質的には変わらない。それは自傷行為と虐待が変わらないように。
壊れないことを信じたいからこそ、徹底的に壊そうとする。
それは容量を越えたものを抱えて、溢れだした状態でもある。
コミュニティ内で、ある一定数がそうなったとき、その空間は急速に崩壊に向かっていく。
大切なことは、革命でも、ロックでもなく、身近な人たちに優しい言葉を使い、腹が立ったら深呼吸をし、手料理の習慣を身につける。
そうして地道に、一人一人が、すでに壊れてしまったものを、断固修復していくことなのだと思う。
秋頃に決まるという、新東京国立競技場の新しいデザイン案に、一都民として僕が期待すること。
それは、世界に見せつけるような攻撃的なものではなく、お年寄りにかける優しい言葉のような、自然を模した一編の詩のような、都民をいつまでも癒し続けるような、世界の人たちが「帰ってきたなあ」と思えるような、そういうものであってほしい、と思う。
祖母は、2020年の五輪が決まったとき、テレビを見ながら、「2020年か。がんばって生きるぞ」と言っていました。
2012年のザハ案のときに最終コンペに残った11点 http://www.jpnsport.go.jp



