こころ
いただきますの心の病|社会にはびこる自己責任論はなぜおかしいのか

Glass Story
いつから言われるようになったのか知らないが、最近では「自己責任論」という考え方が、すっかり主流になりつつある。
失敗したら自分が悪かったのだから自己責任だ、と「大人」は言う。
この自己責任論、根本的におかしいと素朴に思う。おかしいし、そのような社会は間違っている。
じゃあ、なぜおかしいのかと言うと、単純な話、「自己責任」の前提となっている「自己決定」が、そもそもフィクションなのだ。
僕たちは、まず生まれる地域も両親も体も性別も選べない。
地域と両親が選べないということは、食べるものや衣服、学校も選択が限られる。
性別や体によってできることも、寿命さえ各々で事細かな差異が出る。
もちろん、ある程度は「血の滲むような」努力で運命の操縦レバーを握ることもできるだろう。
でも、根本的な部分では、永遠に「自己決定」は叶わない。
自己だけの決定ができない以上、自己だけの責任というのも存在しない。
たとえば、「ゆとり教育」の若者の「無知」を責めるのは、明らかにお門違いだろう。
その仕組みが社会によって作られて、その仕組みに組み込まれる以外の選択肢を、若者は持つことができなかったのだから。
これは、「たとえば」の話だ。
似たようなケースは、枚挙にいとまがない。
僕たちは、人生の決定権の大半を、「時代」や「社会」からの強制力に委ねている。
この国の住民のうち、たった一人だけがうつ病なら、「彼の心が弱い」と社会が自己責任論的に解釈することも仕方がないのかもしれない。
でも、もし国の過半数がうつ病になったら、「病気」なのは社会の方だろう。
あくまで「病気」は患者の方だ、と言い張るのだとしたら、それは自己責任論の名を借りた責任転嫁である。
戦争を遂行する独裁者が、感情に任せてミサイルを放ち、戦火に怯える住民が恐怖と不安で涙する。
そのとき、病んでいるのは、弱いのは、一体どちらだろうか。
経済的弱者や病気で苦しむ人々だけでなく、たとえ犯罪者であっても、彼らのことを自己責任で片づけようとするのは、「社会」が責任を負いたくないからだ。
それでは、「社会」とは誰か。
それは、まさしく我々のことだ。
僕たちの一人一人が、相応の分だけ、「社会」に対して責任や任務を負っている。
もし、自己責任で済ませることができなかったら、社会、すなわち自分に罪責感が生じる。
だから、多数派の「社会」は、こそこそと耳打ちや目配せを交わして「自己責任論」というフィクションをでっち上げるのだ。
個々人が、「自己責任論」を自分自身に課すのは自由だ。
だが、社会の総意や常識として、複数形で「自己責任」を他者に押しつけた瞬間、それは「責任転嫁」になるだろう。
ちなみに、僕は、どれだけ辛い状況でも、「自分だけのせいだ」と思わないように心がけている。
経験上、その悔しさをバネに事態が好転したとき、「自分だけのおかげだ」と変わる危険性があることを知っている。
だから僕は、「社会のせいだ」と思うようにしている。
しかし、同時に、「その社会の片隅に、僕がいる」のだ。
最後に、東洋思想の第一人者、中村元さんの『原始仏典』の言葉を引用したいと思う。
考えてみると、自分というのは、他から色々及んできた力の一つの結び目のようなものです。他人から離れた自分というのはありえません。
多くの人の力がわれわれに影響を及ぼし、その力、そのおかげによって個々の人が育ってきたわけです。
___『原始仏典』中村元著
そう、そして、それは言葉や空気、キーボードの上を重々しく左右に動く、この右腕さえも。
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