社会とビジネス
昔のmixiはよかった 過去のmixi、日本的なSNSから学ぶ“閉じつつ開く”方法

Glass Story
昔のmixiはよかった
ああ、昔のmixiはよかった、と好きなバンドをテレビで眺めるようにつぶやいてみる。
確かに、バンドの場合は懐かしい思春期の感傷も混じっているかもしれない。
しかし、この「昔のmixiがよかった」と思うのは、決して単なるノスタルジーではないと思うので、その理由を、「日本的」というキーワードで整理してみたい。
これは、今後、この開かれすぎた社会で繋がっていく上で、有意義なヒントになるのではないかと思う。
昔のmixiの優れていた点
まず、過去にあったものも含めてmixiの機能で僕が優れていると思ったのは、足跡、コミュニティ、紹介文、偽名(ペンネーム)、そしてGoogleで検索を受けないという閉鎖性の五点である。
以下、順を追って説明する。
足跡
足跡機能というのは、相手のプロフィールページやブログ記事をを見たときに、その訪問履歴が残る、というものだ。
この機能が突然廃止になったときは、ユーザーからの不満の声も多かった。
この「足跡」は、直接的に話しかけることに抵抗がある人にとっては、ある種の「目配せ」や「会釈」のような役割をしていた。
コミュニティ
自分の好きなコミュニティに所属することができた。
映画やバンドなど共通の趣味を持った仲間と出会ったり、また、自分の所属しているコミュニティの一覧がプロフィールの隅に表示されるので、性格や特徴を表明するツールにもなった。
紹介文
自己紹介文だけでなく、他者からの紹介文もあった。
友人知人からの文章ばかりなので、もちろん悪口は書かれずに良さばかりが際立つが、その良さをどういう風に紹介されるかも含めて、本人のキャラや関係性が見えてくる。
日記の記事以外に、このコミュニティや紹介文を見て、どんな人だろう、と想像がふくらみ、理解が深まるのである。
偽名(ペンネーム)
名前は、匿名でも実名でもなく、偽名やあだ名、ペンネームといったものだった。
お互いに実際の友人だったり、存在感のあるネット上の知り合いで、たとえ本名は知らなくても、確かな繋がりを持つことができた。
Googleで検索されない、閉鎖性
FacebookやTwitterと違って記事内容をGoogleで検索されないので、まるで学校の校内で喋っているような安心感があった。
また、「シェア」という形で広がっていかないし、公開範囲も、「全体」「友人」「友人の友人」と、その都度限定ができたので、文章を書いていても散漫にならなかった。
常にあらゆる眼差しを意識して書かなければいけない環境だと、想いは水面に垂らした絵の具のように、たちまち溶けて消える。
そうして誰でも書きそうな平凡なことを書くか、徹底的に匿名性の影に隠れて感情を吐き散らすようになっていく。
適度な閉鎖性のおかげで、適度な重みのあるコミュニケーションが可能だった。
世界観の違い
このように、あらためて五点をまとめてみると、コミュニケーションにおける、「間接性」と「閉鎖性」という二つの特徴が見られることが分かる。
コミュニティや紹介文で知ってもらったり、足跡のタイミングや軽い応酬で「敵じゃないですよ」という ‘ 間接的な ’ 合図を交換する。
また、なるべく閉じられた空間で、ひそひそ話のように語り合う。
こうした特徴こそ、さながら茶室のような「日本的」な付き合い方ではないかと僕は思う。
一方で、欧米は、「繋げる」「透明にする」ということを、ほとんど宗教的な情熱を動力源にして希求してきた。
大航海時代や明治の開国、新自由主義、情報化、グローバル化、TPP、Google、Facebook、ウィキリークス、アノニマス。
欧米というのは、一神教の影響が根強く、ひたすら「一つ」に繋げようとしていくのである。
そして、また同時に、「自己」の主張もはっきりとする。
俳句を教えても、自作の俳句から「 I 」を抜くのに苦労すると言う。それくらい「私」を主張する。
SNSでも、プロフィールに本名を使い、顔を出すのに抵抗が少ないのは欧米だろう。
日本人は猫ばかりだ。
“閉じつつ開く”方法
まっさらな世界と、自己決定。これが西洋の世界観の根幹にある。
近代化以降の日本を覆っている、「グローバル化」と「自己責任論」も、この萌芽に過ぎない。
僕は、こういう方向性というのは、バベルの塔の崩壊のように、いずれは限界が訪れると思う。
あらゆることを繋げた、「自由」な世界は、逆説的に格差を固定化し、それとともに自他の存在は消えてゆく。
仕事もパートナーも親子も代替可能になっていく。まるでSF文学の古典『素晴らしい新世界』で描かれる世界のように。
だからと言って、完全に閉じるということもできない。
だからこそ、これからは「閉じつつ開く」という妙が重要になってくるだろう。
日本などは、「閉じて開く」「開いて閉じる」という島的な世界の構成にすごく向いた文化風土だと思います。
日本の中で形成されたものの考え方というのは、大変に自然哲学的で、ヨーロッパの形而上学とは違うベースが日常生活の中に根付いています。
以前、なぜ本や映画館がなくならないのか、という理由に関する記事に書いたように、人間が人間として「繋がる」ためには、孤独が担保される必要がある。
そういう意味では、過去のmixiは、映画館や読書の体験と似ていたと言える。
恐らく、「繋がる」ことのできた瞬間の結びつきの感慨は、TwitterやFacebookよりも深いものだっただろう。
mixiは、この「閉じつつ開く」ということを(たぶん無意識のうちに)体現していた。
mixiの失速の原因は、そもそも「拡大」志向が前提となっている欧米型の株式会社システムとの不調和だろうと僕は思う。
確かに、短期的な利益を考えれば、ひたすら「開く」という選択を取らざるをえないかもしれない。だが、長期的には、その志向性は、必ず「人間」というものを破壊していくだろう。
しかし、今はたったひとりでいる人間はいないからね、とムスタファ・モンドは言った。
われわれはみんなが孤独を嫌うよう仕向けている。そして孤独になることがほぼ不可能なように生活をお膳立てしている。
国や地方、企業、個々人がこれから育んでいくべきものは、「孤独」、そして「閉じつつ開く」という方法と洗練である。
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