正論が正しいとは限らないこと − 「ひとの命をなんだと思ってるんだ」 | コップのお話

言葉と違和感

正論が正しいとは限らないこと − 「ひとの命をなんだと思ってるんだ」

     
Glass Story

ひとの命をなんだと思ってるんだ、という言葉を耳にすることがある。

たとえば、殺人犯の逮捕後の発言や、東電の原発事故後の対応などに、テレビのコメンテーターが憂えたり、お茶の間で夫が憤ったりする。

まったく、ひとの命をなんだと思ってるんだ。

 

もちろん、おっしゃる通りだと思う。間違いない。

でも、一方で、こういう正しさには、ときどき疑問符が灯ることもある。

分かりやすく大袈裟に喩えると、目の前に病で瀕死の家族がいる。同時に、不老不死のテクノロジーがある。

そのとき、そのテクノロジーの使用をしないと、場合によっては「罪」に問われる。

仮に「罪」に問われなくとも、見殺しにしたということでテレビでは「ひとの命をなんだと思ってるんだ」と言われる。

しかし、もしその不老不死のテクノロジーを用いたとしたら、それこそ「ひとの命をなんだと思ってるんだ」という話ではないだろうか。

 

ひとの命を、なんだと思っているのか。

これは結構、重大で根本的な問題だ。

僕たちはときに「ひと(個人)の命」をかけがえのない大切なものとして考えて、必死に守ろうとした結果、「ひと(生命)の命」を破壊する。

そして、おそらく「ひと(生命)の命」を破壊することは、たとえ誰かの最愛のひとを束の間延命できたとしても、結果的に、ゆっくりと「ひと(個人)の命」を蝕んでいくだろう。

 

これは何も「不老不死」といったSFに限った話ではない。

真っすぐな眼差しで「ひと(個人)の命をなんだと思ってるんだ」と言って、「ひと(生命)の命」を、「ただちに影響のない」範囲で蝕んでいる話は、幾らでもある。

2016-03-10 | Posted in 言葉と違和感