文学と芸術
詩人の日記に残された、太平洋戦争開戦当日の愛知県安城の様子

Glass Story
太平洋戦争開戦当日の様子
詩人で童話作家の新美南吉は1938年、24歳の頃から愛知県安城市の女学校で教師として英語や国語などを担当し、1943年、29歳の若さで亡くなった。
以下は、新美南吉の日記に残された、1941年、太平洋戦争開戦当日(一報の入った日)の様子(表記は読みやすいように現代仮名遣いに修正)である。
冬の始まりのことだった。
安城で汽車を下りると今日はよい天気だということがわかった。うす赤い朝光がうらうらと町筋に沿って流れていた。しかし今朝はさすがに手を出していると指が冷たいと思った。金魚屋の前で山崎の親父に一緒になった。そして彼の口からいよいよ対英米宣戦が行われたことをきいた。
僕は今朝新聞を見てきたが知らなかったといった。只今のラジオの臨時ニュースで言っていましたといった。
いよいよはじまったかと思った。何故か体ががくがく震えた。ばんざあいと大声で叫びながら駆け出したいような衝動も受けた。
職員室にはラジオが持ち込んであった。いよいよはじまったねといってはいっていったがみなラジオをきいてて返事もしなかった。
校長も落ち着きを失っているように見えた。六時限目に生徒等を講堂にあつめて話しましょうといっていた。それが、十時何分かに宣戦の詔書がラジオを通じて奉読されることになったのをそれをきくべく四時限目に生徒らは講堂にはいった。
詔書奉読は都合で時間がのびてしまったが日本軍がハワイとシンガポールとグワム島に電撃作戦をこころみたことと、上海で英艦一隻(ペトレル号)を沈没させ、米艦一隻(ウエーク号)を降伏させた報がはいった。
生徒たちは喜びの声をあげた。
何しろ一般にわくわくしていた。うれしげな多少うわついた気分が流れていた。
ラジオは終日ニュースの間に軍歌を奏しつづけた。まるでお祭り気分で戦争にはいっていった。
(中略)
安城の岡崎銀行支店のわきに一台の荷馬車がとまっていた。白い馬が立っていた。夕やみのなかで白い馬はゆるやかに耳を動かしていた。彼は人々の荒しげな気分を知らぬふりをしていた。
また考えてみれば馬が対英米宣戦という歴史的事実を知っているわけもなかった。(新美南吉『新美南吉全集 第十二巻』より)
今もどこかの国で名もない若者が、この日の日記に向かって日々の光景を綴っているのだろうか、などと思ったりする。
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