電磁波過敏症
冬の寒さ対策(化学物質過敏症・電磁波過敏症)
Glass Story
冬の寒さ対策
化学物質過敏症、電磁波過敏症のひとにとって冬の寒さは相当辛いもの。
エアコンや電気こたつ、ホットカーペットは使えないことも多いでしょう。
そこで化学物質や電磁波のストレスを少しでも減らした暖房、冬の寒さ対策として、どんなものが挙げられるか調べてみました。
参考にしたのは、『「化学物質過敏症 私の方法」 掲示板』という掲示板サイトです。2006年の情報ですが、特に古さは感じません。
この掲示板で紹介されている寒さ対策として多く挙がっていたのは、オイルヒーターないしはガスストーブでした。
私は去年、それまで10年間くらい使っていたデロンギのオイルヒーターを使おうとしたのですが、吐き気がして使えなかったんです。オイルヒーターが使えなくなったと思ってショックでした。ところが、ちょうどそのころ通っていた歯科医で、CCPという日本の会社のオイルヒーターを使っていて、それが臭くなかったんですね。それでCCPのきわめて安価なオイルヒーターを、だめもとで買いました。最初はやはり臭かったのですが、2週間ほどベランダに出して使ったのちに、使えるようになりました。
たぶんデロンギのヒーターも、現在発売されているタイプの物は、CCPと同じくらい安全だと思うのです。使われているプラスチックとか、塗料とかの、ほんの些細な違いが、使えるか使えないかを決めてしまうみたいなんですよね。だから新しい物を試すのは躊躇してしまうし、オイルヒーターは電磁波が恐いし……どうしましょ。(2006/11/26(Sun) 16:52)
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最近ガスストーブを使いはじめました。火力も強く、においも石油ストーブより気になりません(私にとっては)
消したあともにおわないし、石油を入れかえるような手間もないし私にとってはベターのようです
父の話では燃焼率はガスのほうが石油より良いそうです以外に知られてない存在かと思い書いてみました (2006/11/18(Sat) 14:47)
全体の雰囲気としては、オイルヒーターよりも、ガスストーブのほうがいいかな、という感じでした。また、どちらも熱によって気化する塗料が心配なので、古い製品を使うといいかもしれません。
以前伺った化学物質過敏症の専門医の方の話によれば、古いオイルヒーターがおすすめとのこと。古い、というのはやはり塗料の問題のようです。
リサイクルショップか、メルカリなどで見てみるといいかもしれません。
オイルヒーターの電磁波については、電磁波は距離が離れれば影響も弱まるので部屋の隅に置けば大丈夫のことも多いそうです。
とは言え、体の過敏さはそれぞれで違いますし、体調によっても差は生じるので、その辺りは注意が必要です。
その他、もう少し原始的な方法として意外とおすすめなのが「白湯」と「湯たんぽ」です。
白湯は芯からぽかぽかと温まりますし、湯たんぽも夜寝る前の寒さ対策に効果的です。個人的には45℃くらいの熱いお湯で行う「足湯」や「腰湯」もおすすめです。
あとは寝具も良質な羽毛布団などを選ぶのもよいでしょう(参照 :「みらい -mirai-」)。
友人や家族、恋人に「化学物質過敏症、電磁波過敏症だ」と言われ、信じられないと思ったあなたへ。
Glass Story
二つの孤独
化学物質過敏症や電磁波過敏症を併発しているときの、もっとも辛い症状というのは、もしかしたら「孤独感」かもしれません。
この「孤独感」は、何重にも重なっていて、その一つが、‘ 日常生活からの孤独 ’ として突きつけられます。
部屋の電化製品や食材(食品添加物や農薬など)、衣類、ひどいときには書籍のインクにも反応が出る。
当然、ひとたび部屋の外に出れば、自分の意思だけではどうしようもできない「物質」で溢れています。
また、神経過敏になった体は、化学物質や電磁波だけでなく、多くの場合、ストレス全般に対応するだけの余力が残されていません(食物アレルギーが増加していることもあります)。
そのため、飛び込んでくる光や音、色とりどりの広告、美味しそうな匂い、そして道行く人々さえも、体と心を孤独に追いやる引き金になっていきます。
病人とは、途方もない遠方に置き去りにされた人のこと(……)人間は熱がではじめたときから、健康な人には理解することのできない感情の王国に足をいれることになる。
その世界は、別の言葉を話す人間の世界のように。
そして、こうした日常生活からの孤独以外に、もう一つの孤独、「友人や家族からの孤独」が挙げられます。
近代化された社会を生きている僕たちは、互いの友情や親愛の念を確認するために、ほとんど必ずと言っていいほど「化学物質」や「電磁波」を媒介にしています。
カフェでお茶をするにしても、メールや電話にしても、カラオケやドライブにしても、恋人の場合はメイク、シャンプーさえも、ときに症状に繋がっていく。
その症状は、発作的な場合もあれば、少量を常に浴びたり摂取しているようなら、じわりじわりと出ることもあります。
その症状が、どのように発露されるかは、さまざまなアレルギー疾患と同様、個々人の弱い部分に現れるのでしょう。
次第に頭痛がひどくなったり、下痢などの腹痛が生じたり、皮膚のかゆみ、あるいはイライラや不安感などといった精神面に現れることもあります(このときの「精神面」は、「心」とは違います。それはホルモンバランスの乱れを想像してもらえれば理解しやすいと思います)。
だから、「なんだよ、今は大丈夫じゃないか」と思ったり、「信じられない」「気のせいじゃないか」と、嘘や仮病、怠けだと疑いたくなることもあるかもしれません。
しかし、「大丈夫」なときというのは、あらゆる外的な要因の結果、たまたま調子がよい時間が、わずかのあいだ続いていただけに過ぎません。
会話をしているうちに、徐々に体の容量が耐えられなくなって、ついには相手の言葉さえも、体にとって「騒音」になっていく。
通常、「騒音」には、どんな反応を示すでしょうか。
気分が滅入ってきたり、イライラしてきたり、耳を閉ざしたり、「うるさい!」と怒鳴ったりするのではないでしょうか。
海外でも問題「化学物質過敏症」「電磁波過敏症」の存在
病気であることを疑われる以前に、そもそも、この病気の存在自体を全く理解してもらえない、信じてもらえない、という場合も多いのが、この病気の特徴でもあります。
頭ごなしに、化学物質過敏症や電磁波過敏症は存在しない、と否定される(だから、「気のせい」か、精神疾患だと言って心療内科を勧められます)。
化学物質過敏症は、ようやく公的な機関やサービスも含めて多少は扱われるようになってきましたが、電磁波過敏症はまだまだ認知されていません。
両者とも、メディアで取り上げられることはそう多くはありません。
日本は、スポンサーの関係上、マスメディアなどで扱いづらい事情もあるのでしょう。
しかし、海外でも、これらの疾患は問題になっています。
たとえば、フランス大手のAFP通信社では『電波望遠鏡の村が電磁波過敏症の人のメッカに、米国』という記事が出ていますし、ニューヨークタイムズのWeb版には、『Everything Makes Them Sick』というタイトルで、化学物質過敏症や電磁波過敏症の患者の日常を写した写真集も掲載されています。
その他、北欧スウェーデンでも、電磁波過敏症は障害の一つとして認められています(参考 : 北欧スウェーデンの電磁波過敏症患者の日常の生活)。
また日本でも、中日新聞などは、化学物質過敏症について詳細な記事を書いています。
この病気は患者と接する人の「普通の生活」を営む価値観を揺るがす。状況を受け入れられない家族とのトラブルが起こりやすい。生活費がかさみ、金銭的な負担も大きい。藤井さんは社会の理解を少しでも広げるため、病気をPRするちらしにこう表記した。
「あなたが快適でも わたしは苦しい」
書籍ではもう少し自由があり、ハーバード大学で教える疫学者デヴラ・デイヴィス氏は、著書『携帯電話 隠された真実』で、携帯電話の電磁波の危険性を低く見せるために政治や企業が科学者たちと結託し、どのように ‘ 工夫 ’ してきたのかを克明に記しています。
あるいは、以下の書籍を読むと、一つ一つの危険性はもちろん、各々の分野で「安全基準」や「表記のトリック」を駆使し、どのように誤魔化しているかが、よく理解できるでしょう。
・無添加住宅!―化学物質を使わない、世界でいちばん自然に近い家
世界中に「脅威」が、たった一つだけだったら、まだ問題は今よりもずっと少ないかもしれません。
よく安全基準の結果を示すときの、「飲料水として飲み続けて、数十年後にがんになる確率が何パーセント上昇する」といった風に、「脅威」が、その一つだけなのだ、と想定できるのであれば ─── 。
しかし、近代化の進められた現代は、一つや二つでは到底収まりきりません(だから責任も曖昧で、歯止めが利かないのです)。
こうした事実に、残念ながら、たとえ親友や家族、恋人であっても、理解や共感を示してくれることは多くはありません。
信じられない、信じたくない、と心にブレーキがかかる。
なぜなら、先ほどの記事にもあったように、それは「‘ 普通の生活 ’ を営む価値観を揺るがす」からです。
あなたの仕事はなんでしょうか。
あなたの心を込めた贈り物はなんでしょうか。
幼い頃の家族との楽しい想い出は? 一生で一度のラブレターに、インクや漂白剤は、果たしてどれくらい使われているでしょうか。
今や僕たちの世界は、生きるための生業も、友情の証も、愛の営みも、「人工物」を媒介しなければ叶わないような世界になりつつあります。
そういう人工的な世界を、人類は意識的に作ってきたし、特に日本は、そのことに戦後ほとんど強迫観念的に勤しんできました。
今の日本を見ていると、時々こういうことを思います。
人類が宇宙に移る時代が来たら、日本人は一番スムーズに宇宙の生活に馴れるでしょう。その理由は宇宙には、木、草、花、鳥、動物、美術、文化的な町並などないからです。
宇宙船の中、あるいは月の上の植民基地はアルミと蛍光灯の世界です。
ほかの国の人達は時々自然の森や生まれ故郷の美しい町並みを思い出して、地球に帰りたくなる。けれども、日本人は日本を思い出すとアルミサッシ、蛍光灯、空に聳える鉄塔、コンクリートとガラスの町しか思い浮かばないので、月との生活とそう変わらないはずです。
気持ちよく月の暮らしを続けていくでしょう。
経済成長という概念の本質にあるものは、「人工的なものを増やす」という振る舞いです。
でも、自然の本質は、「循環」であって「成長」ではありません。
たとえば、小さな畑を想像してみて下さい。
その限られた空間で、「経済成長」を試みようと思ったら、決まった季節に種を蒔き、決まった季節に収穫するのでは足りません。「成長」はしません。
経済成長させるためには、人為的に素早く成長させ、素早く収穫する必要があります。
あるいは、ミルフィーユのように何層にもなった高い高い建物で育てる。
その結果、化学肥料やビニールハウス、遺伝子組み換え技術など、「人工物」の比重は増えていかざるをえません。
そして、「成長」を国是に掲げている以上、サラリーマンや自営業者にとっても、企業にとっても、政府にとっても、こうした「物質」の過敏症患者は、目を背けたい存在になるのです。
それは、本人の「気のせい」や「心の病」で片づけたい存在であり、また、無意識のうちに静かに消えてほしいと願っている悪夢でもあるのです。
たとえ、我が子であっても。
忘れてはいけないことは、この病は、決して一部の特異体質者だけがかかる病ではない、ということです。
誰かを排除したり、目を背ければ解決するような問題ではありません。
負担は、着実に、誰にも平等にかかっている。
アレルギーや花粉症が「高度成長」とともに激増したように、きっと多くの人々が苦しむようになるでしょう。
これからの道
化学物質過敏症や電磁波過敏症は、はっきりと聴こえるようになった、身体という自然の悲鳴です。
皮膚のかゆみや、下痢、頭痛、発狂は、自然の最後の訴えです。
彼らは、自然の声の翻訳者なのです。
その「自然」の声に耳を傾けることは、あるいは「自然」を守ろうと闘う人々を応援することは、今まさに病気に苦しんでいる人々だけではなく、未来の自分や、我が子を守ることにも繋がっていくでしょう。
この間、化学物質全てにアレルギーを持った方とお会いする機会があったんです。
食べ物の添加物ももちろん、洗濯洗剤などもダメで、匂いで分かってしまうそう。
でも彼女はヘビや蜂の毒には強い。
彼女こそ本当の人間なのかもしれない、人間って何だろう。— shuo (@1Shuo) 2018年1月14日
もちろん、今すぐに完璧は不可能です。ただ、一人一人が、ほんの少し意識(ベクトル)を変えるだけでじゅうぶんなのです。
そういう病があるのだと、理解すること。
彼らが耐えられないものをあなたが摂取して平気なのは、そのような病気が存在しないからではなく、体の解毒機能が、あなたに迷惑をかけないように必死に働いているだけのことに過ぎません。
オーガニックに興味を持ってみること。
無農薬や自然栽培の野菜に変えることは、友人や恋人のためだけではなく、長期的な視点に立ったときの自分自身の体のためでもあり、また、そういう仕事に従事している人々を「消費」で応援することにも繋がります。
今、自分の持っている技能や仕事を、将来の夢を、ちょっとだけでも「体に優しい」方向にシフトしていくこと。
たとえば、無農薬の生薬を自分たちで栽培して漢方薬を処方する「むつごろう薬局」や、自然素材の賃貸を紹介する「ミドリムシ不動産」など、様々な試みが行われています。
これは、「偉い人たち」は絶対にやってくれません。
一度そういったもので利益を生み出してしまったら、企業や政治は引き返せません。スポンサーの関係でメディアも批判ができません。
莫大な利益だけを、「成長」だけを求めれば、絶対に「自然」の破壊に向かわざるをえない。
だからこそ、「自然」を守るためには、文字通り、各々が草の根で動いていく必要があるのです。