政治と経済
想田監督「テロリズムというアイデア」|復讐の連鎖が終わらない理由
Glass Story
ある夜のこと、うつろな意識で深夜に目が覚めた。
どうやらラジオをつけたまま眠ってしまったみたいだ。
床に置かれたコンパクトラジオから、「テロリズムはアイデアである」というフレーズが聴こえてきた。
そのラジオ番組は、平日の夜に放送される、ニュースがメインのもので、フレーズは、その日にゲストだったドキュメンタリー映画監督の想田和弘さんの言葉だった。
僕は、そのフレーズの意味を、布団のなかでぼんやりと耳を傾けて聴いていた。
テロリズムは、属性ではなくアイデアだ、と言う。
想田さんは、その言葉の意味について次のように語った。
米国は、9、11の同時多発テロのとき、「テロリストを根絶する」と言ってアフガニスタン侵攻を始めた。その「正義」の戦争を、小泉政権も支持した。
しかし、テロリズム、テロリストとは、人間の属性や種類ではない。
たとえば、「テロリスト」という輩が存在して、その「テロリスト」を皆殺しにすればテロリズムが根絶される、というものではないのだ。
そもそも、一方の側からすれば「テロリスト」かもしれないが、その「テロリスト」の側には「テロリスト」の側の「正義」がある。
そして、彼らからすれば、米国を筆頭に西洋諸国の方が「テロリスト」だと言える。
仮にイスラム国を爆撃する。
その爆撃で実行犯と呼ばれる連中を根こそぎ壊滅させたとしても、彼らの残された家族や仲間、また誤爆の被害に遭った人たちの家族は、各地に散らばって報復を考えるかもしれない。「正義」のために闘おうと、意思を強く固めるかもしれない。
こうして西洋諸国の側に対する「正義の闘い=テロリズム」という〈アイデア〉は、空間、世代を越えて再生産される。
想田監督は、このことを、別の場所でゴキブリと比較して喩えている。
もし、「ゴキブリ」という〈種類〉を根絶しようと思ったら、実現は不可能にしても、可能性としてはあり得ることだ。
でも、テロリズム、テロリストという〈種類〉が存在するわけではない。
攻撃をするということ自体に、まるでぶっ放した弾薬の残骸のように、必然的に、「テロリズム」というアイデアがくっついているのだ。
これが世界中で復讐の連鎖が終わらない理由である。
要するに、「悪いやつを武力で殺せば平和が訪れる」という方法以外のソリューションを考え出す必要があるのだ。
このような対症療法的な方法では、復讐の連鎖は、いずれ肥大化し、やがては核兵器の使用と世界の終わりに繋がっていく。
もちろん、別のソリューションと言っても、容易に提示することはできない。
しかし、安易に「悪」の攻撃に加担するよりも、世界の片隅でひっそりと別解を模索し続ける方が、「世界」のことを考えても、ずっと現実的な方向性ではないかと僕は思う。
番組の終わり、想田監督がリクエストした音楽は、ジョン・レノンのIMAGINEだった。


