文学と芸術
詩人、寺山修司の恋人であり秘書だった田中未知さんの「寺山修司と生きて」

Glass Story
寺山修司との出会い
二十歳の頃、記念のつもりでイラスト展を開いた田中未知さんは、当時三十歳ですでに名の知れていた詩人の寺山修司に駄目元で案内状を送ってみた。
すると、驚いたことに、来展者のためのサイン帳に「寺山修司」の名前があった。
しかし、寺山が訪れたのは田中未知さんが偶然席を外していたときだったらしく、残念ながら彼女は寺山と会うことができなかった。
その後、寺山修司のサイン会に行き、二人は初対面を果たすことになる。
それからイベントなどの参加を経て、あるとき寺山から突然電話がかかってきた。電話は、彼自身が台本を書いた演劇に誘うものだった。
そして、その翌年、「劇団員になりませんか」と寺山は彼女を誘った。
未知さんにとって肌の合わなかった作風に、彼女は最初その誘いを断った。
すると寺山は、「だったら秘書になってほしい」と頼んだ。
それから16年間、未知さんは、寺山修司が亡くなるまでずっと、有能な秘書として、「問題児」を抱えるアングラ劇団の仲介役として、また数多くの恋人のうちもっとも身近な女性として(彼女はときに寺山の困った女性との関係の整理まで行った)寺山を支え続けた。
編集者の松岡正剛さんは田中未知さんの印象について次のように語っている。
田中未知さんとは、ぼくもちょっとした知り合いである。たいへん優秀な寺山修司の秘書さん兼マネージャーさんで、だから寺山さんと会ったり仕事をするときは、たいてい彼女を通した。
いつ会っても相手の話をよく聞いたうえで、適確このうえない言葉で要件を柔らかくビシリと決めると、重い荷物をいくつも持ちながらサッサと次の仕事に走っていったものだ。
寺山修司のパートナーとして表立って有名なのは彼の元妻だった九条今日子(映子)で、田中未知さんは影で支えた女性だった。
寺山の死後
寺山修司の死後、未知さんは残された悲しみと、次々に語られ、出版される虚実入り乱れた「寺山修司像」に飲み込まれていった。
自分が何かを語ることは、その一つに埋没すること、加担することに繋がる、と彼女は思った。
そして彼女は、沈黙を決めた。
その前に、まず寺山の残した仕事の後処理に追われた。彼の責任を、自分が最後まで果たす、という覚悟で奔走した。
この後処理が終わると、彼女は日本を脱出した。
寺山がこの世から消えてしまうと同時に、言葉に対する信頼はいっさい失われてしまった。人々の本音と建前と称するものに翻弄され、嘘の陰口、人間の心が何なのかさえ理解できなくなっていた。
「寺山修司と生きて」田中未知著
言葉を忘れるために、彼女は日本を脱出し、オランダに向かったのだった。
誰よりも「言葉」というものにこだわってきた寺山修司とともに、田中未知さんは「言葉とは何か」「私とは誰か」ということを模索しつづけてきた。
そして、「言葉」も、あるいは寺山が「未知は固有名詞ではなく、僕との共通名詞だ」と言い、未知さんも「私の職業は寺山修司だった」と言うほど一心同体だった「私」も失われた彼女は、誰にも告げず、まっさらの状態でオランダの地を目指したのである。
オランダでは、かつて寺山の演劇がアムステルダムで開かれたときの観客の一人で未知さんに惚れていたエミールの家に居候した。
それから二人でオランダの教会や美術館を巡り、彼のバカンスになるとヨーロッパ各地の文化遺産をまわった。そして数年後、「水の国」と称される湖水と無数の運河がひしめくフリースランド州に移り住んだ。
未知さんは、そのフリースランドの暮らしについて著書で次のように書いている。
フリースランドに移ってからは、年がら年中、否応もなく自然の真っ只中にいるという生活に変わった。
それまでは年に一、二ヶ月、エミールのバカンスのときに自然に接していただけなのである。
東京という概念しか知らず、生粋の江戸っ子と称してきた私にとって、これは想像もしなかった生き方であった。言葉など無用。私の話し相手はエミールと、日本から連れてきた柴犬のワグナーだけだった。寺山の愛犬である。
×
何一つ経験もないのに、土を耕し、畑をつくった。種を撒き、草取りをし、水をかけるだけで、野菜はぐんぐんと育った。収穫には目を見張った。近所の人に分けても、半年分の二人分の食料になった。
まるで春に十ギルダーの銀貨を埋めると、夏には百ギルダーのお礼になって土のなかから出てくるような気がしたほどだ。
×
小さな命あるものすべてから生きることを学び、私は彼らに同化した。
「寺山修司と生きて」田中未知著
こうした暮らしのなかで、寺山修司といっしょに探し求めてきた言葉で追いかける「私」が世界に溶け、別の「私」が立ち現れてきた。
ありありと鮮明に姿を見せた、もう一人の「私」。
このときのことを、彼女はニーチェの言葉と重ね合わせる。「その一瞬の光の中で、われわれがもはや〈私〉という言葉を理解しない瞬間、いわばきわめて明るい、きわめて愛にみちた火花がある」。
かつて寺山修司は、「時間って縦軸ではなく横軸なんだね」と何かを発見した子供のように嬉しそうに語ったと言う。
その意味が、ようやくわかったと未知さんは書く。
寺山修司と生きて
海外生活のあいだも、こつこつと寺山の仕事を整理し、「寺山修司」と向き合い続けてきた。
しかし、誰よりも内情に詳しいはずの未知さんだったが、寺山修司について語ることだけは公の発言を避けてきた。
その沈黙が、20年の時を経て破られた。
2007年に出版された「寺山修司と生きて」では、彼女の、激しく、そして冷静な「寺山修司」に対する想いが堰を切ったように溢れ出す。
寺山修司に盗作者の汚名をかぶせた評論家たち(「級友に追いつくために模倣を選んだ」、「言葉のクロスワードパズルに耽る」、「模倣、剽窃、盗作者、偽札づくり、アプレの不徳義漢」)。
詩人として美しい死を勧めた医師。
そして我が子寺山修司を憎み、その憎悪ゆえに決して寺山修司のもとを離れなかった母はつ。
未知さんは、こうした過去を、過去のままにすることなく「異議申し立て」を行った。「寺山修司と生きて」培ってきた言葉をたずさえて闘ったのである。
人生最後の大仕事と言わんばかりの、切実な想いが言葉の一つ一つに感じられる。
この本の最後に、田中未知さんから、寺山修司に宛てた25の質問が載っている。少し長くなるけど、引用したいと思う。
◇
あなたは何歳まで生きたいと思っていましたか?
あなたは死が突然訪れるなんて予期していたでしょうか?
あなたが死んだとき「ついに自分に成れた!」と実感できましたか?
そのことはあなたがついに他人から逃亡できたということですか?
あなたが意識を失った日の翌日の予定では何をするはずでしたか?
あなたにとっていちばん大切な宝物は何でしたか?
あなたの嘘は最後までバレないでいてほしいと望んでいましたか?
あなたの現在いる場所はどこでしょう?
あなたにとって現在がまんできぬことを三つあげてください。
あなたがいちばん笑いこけた日のことを思い出しますか?
あなたの一生はあなたにとって完璧なものだったでしょうか?
あなたの内実を探そうと思えば必ず発見できるものでしょうか?
あなたのしたこととしたかったことは一致していましたか?
あなたは言葉で人間が幸福になれると思いますか?
あなたにとって言葉で言い表せないあらゆるものは何でしたか?
あなたは現在言葉から逃れられたでしょうか?
あなたは生前目的を持っていましたか?
あなたが残したものは一体何だったのですか?
いまのあなたにとってこの世は夢だったのでしょうか?
いまはまた別の夢のなかにいるのですか?
あなたにとっていちばん大きな質問って何だと思いますか?
死を体験したあなたにとって「死とはただの見かけ」だと断定できますか?
どこに行ったらあなたと会えますか?
あなたがこの次生まれてくる生年月日を教えてください。
◇
死者は、死者を想うものがいるあいだは生きている。「寺山修司と生きて」というのは、決して過去形ではなく、「生きている」ということなのだな、と思った。
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