経済とビジネス
余計なお世話の狙いとは|新アベノミクス「一億総活躍社会」の意図や目的
女性が輝く社会というフレーズに、「余計なお世話だ」という声もある。
その「余計なお世話」を全体に敷衍したのが、アベノミクス第二ステージと称して掲げた、この「一億総活躍社会」である。
なぜ、彼らは、このような美辞麗句で着飾った「余計なお世話」を押し進めるのだろう。
その意図や目的は、たぶん、とても簡単なものだと僕は思う。
日本は、欧米に対するコンプレックスに満ちている。
だから、敗戦後、次は経済で世界一を目指すんだと、死に物狂いで働いた。働かせるよう仕向けた。
確かに、”豊かさ”を手に入れた。
一方で、その結果、公害や過労死が起きた。原発も乱立した。道徳心や家族の繋がりも薄れた。精神疾患や原因不明の病気も増えた。
国の借金は、増加の一途をたどっていった。
なぜ、一億に総活躍を強制するか、その理由は簡単なことなのだ。
医療費、国防費、高齢者を支える年金、原発の事故処理費用など、これからもっと増えるだろう「金」が必要なのだ。
そのために、社会環境が整っていないにも関わらず、「輝く女性」と言って社会進出を促し、「生涯現役」と言って高齢者を”活躍”させる。
派遣法を改正し、若者を使い捨てにできるようにする。
消費税を上げて、まんべんなく、一億総回収をする。
コンプレックスを払拭するために、経済成長と軍備増強を謳い文句にする。
コンプレックスを払拭するために、もっと金が必要になってくる。
だから、悲惨な事故が起きても、手段を選ばず原発を再稼動させる。心身がぼろぼろで医療費が増えても、さらに一億を”活躍”させようとする。
コンプレックスのために、金のために、日本にとって豊かな資源だった、風土だけでなく体も含めた「自然」を犠牲にするのだ。
明治時代に、欧米列強に対する恐怖とコンプレックスから、富国強兵に向かった流れと一緒である。
その結果、と僕は先ほど書いた。
その「結果」として生じた、病気や猟奇的な事件、道徳心や家族の崩壊を、「原因」について顧みることなく、薬物や重罰、道徳教育のような対象療法で抑えようとする。
それは、虫のいい話だろうと僕は思う。
彼らは、とにかく「自然」を壊してでも、早急に金が必要なのだ。
マイナンバー制度、国立大学の文系廃止騒動、原発再稼動。
官房長官の「たくさん産んで、国家に貢献」という失言は、漢字の間違えとは本質的に違う。
本心なのだ。
この道しかない、という自民党のキャッチコピーは、政府だけでなく、僕たち自身が、コンプレックスや欲望と向き合わない限り、その通りだろう。
ただ、その「道」は、何もかもを犠牲にした、経済戦争のずぶずぶの敗戦に繋がっていく。
もういいよ、そんなに成長しなくてもいい。
ゆっくりと、「ほどよい国」を目指していこうよと、決して煽るのではなく、落ち着いた言葉で語りかけてくれる、大人の政治家が現れてほしいと、心から願う。
僕は、静かに、彼に一票を投じるだろう。
新アベノミクスの問題点|広告代理店的な人間観と、期待感をばらまく空疎な言葉
記者会見で、新しい経済政策、スローガンを安倍首相は掲げた。
止まらぬデフレ、美しい海や国土に迫る脅威。3年前、日本は、民主党政権の下で混乱を極め、国家的な危機に直面していました。
その危機感を共有し、国民の皆さんの力によって、私たちは政権を奪還することができました。
……日本を覆っていた、あの、暗く、重い、沈滞した空気は、一掃することができました。日本は、ようやく、新しい朝を迎えることができました。
そこで引き続き、新しい三本の矢、新アベノミクス、第二ステージを実行し、そして「一億総活躍社会を実現する」と彼は謳う。
さっぱり分からぬ。
何か根本的な間違いを犯していると僕は思うし、正直、もういいよ、という気持ちで一杯だ。
僕は、アベノミクス(安倍政治)の本質的な問題点は、人間を人間として見ていない、見ようとしない、ということに尽きるのではないかと思う。
彼らの論法では、経済成長や循環を邪魔する主な要因は、企業や国民が、資産を貯め込むことにあると考える。
そして、なぜ貯めるかと言うと、未来に対する不安があるからだと。
未来はバラ色だ、明日は今日よりも良い日になる、と信じられるときに、ようやく貯蓄を崩し、消費に手を伸ばす。
確かに、クレジット決済にしても、ローンにしても、未来の自分の懐に期待感がない限り、手は出ないものだろう。
だからこそ、この「不安」を払拭するために、自信に満ちた作り笑顔や色彩豊かなキャッチフレーズを繰り返す。
また、アベノミクスという「政策」によって金をばらまく。
金をばらまけば、まずは大企業が儲かる。
大企業が儲かると、企業や従業員が貯め込んでいた金を使い、投資や生活などで散財するようになる。
その結果、下請け会社や中小企業、その従業員の懐に金が落ちてくる。あるいは、「落ちてくるはずだ」という期待感を抱く。
そのため、みんなが金を使うようになる、という寸法である(テンションが下がるから反対意見を言うべきではない、という声さえある)。
つまり、アベノミクスというのは、金というよりも、むしろ上っ面の期待感をばらまくことだと言えるかもしれない。
ところが、現実的には、また貯め込むだけであり、そんなサイクルは巻き起こっていないのが実状ではないかと思う。
それは、この政策を考える人々が、経済学のことは熟知していても、生身の「人間」のことを知らなかったり、考えようとはしないからだろう。
未来に対する不安があるからと言って、金をばらまけば不安が払拭されると考えるのは、悲しい認識だと僕は思う。
もう、そういう志向自体に限界と不安があるのに。
この新アベノミクスも含め、相変わらず、広告代理店的な空疎な期待感のばらまきを実行していると僕は思う。
そして、「一億総活躍社会」と掲げる彼の言葉に、正直、恐怖と不安を抱くのだ。
これから、増加する医療費や国防費、年金、原発の事故処理費用など、今の若者たちがまかなわなければいけない費用は莫大に存在する。
そのためにも、「絶対に経済成長が不可欠だ」と言う。
結果、借金をして金をばらまく、期待感を煽る空疎な言葉をばらまく、被災者を置き去りにしてオリンピックを誘致する。
あるいは、「女性の活躍」や「生涯現役」といった掛け声とともに女性や高齢者も「経済戦争」に派兵し、派遣法改正によって若者を低賃金で使い回す準備も整った。
原発を再稼動したり食品の安全規制を曖昧にすることで、自然という国富や日本人の体も犠牲にする。
今までも、公害や過労死、自殺のような経済戦争の戦没者の数は計り知れない。
原因不明の病気や精神疾患も増加の一途を辿っている。
それでも、「絶対に勝てる」「未来は明るいぞ」と扇動し、「まだ闘う」「最期まで闘え」と鼓舞する。
要するに、「一億総活躍社会」というのは、撤退するタイミングを失った、経済戦争末期の「一億玉砕」と言えるだろう。
そして、その来るべき焼け野原と向き合う必要があるのは、残念ながら、僕たち若者なのだ。
なぜ、こんな非合理的なことを押し進めるのだろう。
たぶん、それは冒頭に書いたように、「人間を人間として見ない」からだと僕は思う。
経済学の教科書では、それは合理的な選択なのかもしれない。僕は知らない。
だから、ちょっとそれっておかしくないですか、と疑問を呈したとしても、「経済学の基本も知らないくせに」と言われるだろう。
でも、人間というのは、当然のことながら、たった一つの学問によって単純化される数式で成り立っているわけではない。
そのことを、今の政府や頭のいい人たちは分かっていないし、おそらく考えることもできないのだろうと思う。
ただ、それは仕方がないことなのかもしれない。
今の日本の社会構造自体が、「人間を人間として見ない」ことを生きる条件として押しつけてくるのだ。
満員電車や交通事故死の数字、次から次に流れては消える悲惨なニュース、回転率重視の接客業。
コンテンツやマーケティング、ブランディングといった消費者、生産者の単純な記号化。
この社会は、おそらく、人間を人間として見ようとすると、心が病んだり、出世できない社会なのだ。
だから、もし、その世界で生き残り、頂点に立っているのだとすれば、そこに存在するのは、もはや生身の人間として見ることのできない網膜であることは、もしかしたら避けられないことなのかもしれない。
The New York Times 風刺画。瀕死の日本経済が担ぎ込まれる、タイヤのない救急車。
タケコプターと未来|映画館や紙の本がなくならない理由について考える
映画館の利用者が減少したり、紙の本を中心とした活字離れが著しいと言われる。
その理由として、たとえば娯楽の多様化やネットの普及などが挙げられる。
今では、テレビはもちろんのこと、スマホやパソコンによって家でDVDを観たり、本を通さなくても誰かと繋がっていることが容易に可能になった。
それでは、映画館や本、紙の書籍は、このまま減少の一途を辿り、消えていってしまうのだろうか。
未来の社会に、果たして映画館と紙の本は存在できるのか。
この両者の存在について考えるとき、もっとも重要なことは、この両者は、スマホやパソコンなどでは補完できない、ある特徴を備えている、ということだ。
この特徴のために、たとえ規模が縮小したとしても、映画館も本も決してなくならないと僕は考える。
では、その「ある特徴」とは何か。
それは、孤独が担保される、ということである。
芸術作品とは、元来、作品、そして、その奥の作者と受け手の魂の触れ合いであり、密やかな交流、茶室で営まれる一期一会と言える。
その交流のためには、静かな、閉鎖された空間が必要なのだ。
コミュニケーションにとって大切なことは、「繋がる」であり、「繋がっている」ではない。
繋がるためには、前提として、お互いの孤独が担保される必要がある。
電子書籍やDVD、スマホでは、世界から自分を遮断することができない。孤独に浸れない。
またSNSのような「繋がっている」状態では、決して「繋がる」ことができない。
この孤独を確保するためには、確かな「距離」が求められる。
それは世界と自分を隔てる壁であり、作者と自分を隔てる壁である。
産業革命と鉄道の発明以降、文明は「距離」を消す方向に向かってきた。
時間と空間の抹殺、これが鉄道の働きを言い表す19世紀初頭の共通表現であった。
所与の空間的隔たりを踏破するためには、伝統的にはある決まった旅行の時間または輸送の時間が必要であったが、この距離が、突然その時間の何分の一かで踏破されることとなり、これを裏返せば、同じ時間で昔の空間的な隔たりの何倍かが進められることになった。
___『鉄道旅行の歴史』ヴォルフガング・シヴェルブシュ著
22世紀の世界に存在する、「どこでもドア」と「翻訳こんにゃく」は、この文明化の支流に属する。
すなわち、空間的距離感、言語的距離感の抹殺である。
実は、これはインターネット、特にGoogleマップやGoogle翻訳の登場で、ほとんど現実化している。
ところで、このドラえもんの秘密道具、もう一つ有名な道具がある。それはタケコプターである。
なぜ、距離が完全に抹殺された「どこでもドア」の世界で、距離を経る必要があるタケコプターがなくなっていないのか。
それは、人間が本質的に身体的で、距離がないと生きられない動物だからではないだろうか。
映画館に余計な装飾を加えたり、書籍を電子化してネットと常時接続しない限り、しっかり「孤独」と「距離」が保たれる限り、紙の本も映画館もなくならないだろうと僕は思う。
大地を守る|棚が増える、そんな些細なことで世界は変化する
僕が住んでいる町のスーパーには、「大地を守る会」の野菜が置かれた棚がある。
慣行農法の野菜と比べたら、比率として考えると1/10くらいの幅だと思う。
ひっそりと、片隅に置かれた、有機栽培の野菜。
この「大地を守る会」というのは、文字通り、農薬をなるべく使わないような、大地と体に優しい野菜や自然食品を販売する企業である。
人類は幸せになりたいという一念で、便利な技術をたくさん発明しました。農薬もそのひとつでした。農作業が楽になり、便利になった一方で、危険にさらされ、被害を受ける農業者が出ました。
人間だけでなく、口がきけない地球や自然環境も被害を受けました。ミミズ、ドジョウ、ホタル、カエル、ヘビ、イヌワシが消えていきました。
その「大地を守る会」の届ける野菜の置かれた専用の棚が、先日見たら、ほんの少しだけ増えていた。
種類数で言うと、たった二種類程度と、わずかにスペースが増えたに過ぎない。些細な変化だ。
でも、この些細な変化は、株価の変動よりもずっと確かな変化じゃないかと僕は思う。
このスーパーに買い物に来る町の人々が、「大地を守る会」の野菜とキャッチコピーを選択しているからこそ、「だったら」と言うことで店側も幅を増やした。
資本主義の世界では、消費というのは投票行動だ。そして、日常の投票行動の集積が、この町の、この国の文化を形作っていく。
大地を守る会は、再び日本が自然共生型の第一次産業で栄える日を夢見ています。
おいしくて、安心して食べられるものが欲しい。そんなあなたの素朴な気持ちからでも、世界は少しずつ確実に良い方向へ変わっていくのです。
僕は、大言壮語の革命よりも、ほんのちょっと「大地を守る会」を取り扱う棚が増えたといったような、そんな小さな変化に希望の息吹を感じるのだ。
日本の病とシンプルな解決策|医療費増大の本質的な理由とは
医療費増大の流れは、一向に落ち着く気配を見せない。
厚生労働省の発表によると、年間で約40兆円、12年連続で過去最高を更新した。
厚生労働省は3日、平成26年度に病気やけがの治療で全国の医療機関に支払われた医療費が概算で39兆9556億円となり、12年連続で過去最高を更新したと発表した。
産經新聞 医療費、初の40兆円 より
この医療費の問題については、様々な理由が分析されたり、ジェネリック医薬品の普及など、多くの解決策が考えられている。
僕は、ここでは、もっと本質的でシンプルな医療費増大の理由と解決策を考えてみたいと思う。
それは、ものすごく単純なことである。
経済成長を国是にすることを止めるべきなのだ。
現代は、経済戦争の結果、「医療費」を儲けの種や既得権益にしている業界で溢れている。
簡単な例を出したいと思う。
たとえば、若い女の子にスマホやジャンクフードを宣伝する。彼女たちの食事や生活習慣が乱れると、やがて月経前症候群(PMS)のような症状に苛まれるようになる。
そこで今度は病院で薬を処方する。いったん薬による対症療法が癖になると、薬の常用から抜けられなくなる。
これは一つの事例に過ぎない。
信じられないかもしれませんが、3年前からこのPMSの症状が一度も出ていません。食生活を変え始めた翌月からパッタリと止んでしまいました。今では生理痛も全くありません。
わたしがベジタリアンになった理由 より
この国の人々の体や未来を犠牲にすることで、安定して各業界に利益が入る構造になっている。
消費が、このような形で回るほど、「経済成長」という物語が回転していく。
だから、「医療費を賄うために経済成長こそ促進すべきだ」というのは、まさに悪循環で、増大の連鎖は決して止まない。
対策のため、根治のためには、もっとシンプルな解決策が大切なのだ。
それは、経済成長率が何よりも大事なんだ、という考え方をもう止める。
1位 エチオピア
2位 トルクメニスタン
3位 コンゴ(旧ザイール)
書店に行くと、少食が健康にいい、という本がある。断食が大切だ、という本さえある。
かつて日本人は一日二食だった。ところが、気づくと三食になっていた。
極端な話、日本人が一日に四食を習慣とし、全員が肥満になり、その後病院に通うことと、少食や定期的な断食を行い、自然のまま健康で美しい体であることを比べると、経済成長率はずいぶんと違うと思う。
経済成長を国是にして、経済戦争を刺激する。そうすれば結果として医療費が増える。
その医療費の確保のために、経済成長を促進する、と政府は言う。
もう一度言う。これは絶対に悪循環なのだ。
それでも、「経済成長」という対症療法の薬に手を出してしまうのなら、病んでいるのは、国そのものと言えるかもしれない。


